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藤井敏彦の「CSRの本質」

企業の社会的責任(CSR)とは何なのか。欧米と日本を比較しつつ、その本質を問う。

社会的責任投資(SRI)はCSRを救うか?(1)

2008年5月19日

(これまでの 藤井敏彦の「CSRの本質」はこちら)

今月はワタシの誕生月、44になります。

43という数字はなんだか割り切れない、やや不協和な感じが拭えませんでした。しかし、44は割り切れて、安定感があって、何より憶えやすい(笑)。ワタシ細部にあまり関心が向かない性質で、実は自分の年齢も40台前半、というオオラカな捉え方をしていたのですが、これを機会に改めようかと。

しかしいずれにしても、人生のサイクルど真ん中、センターラインの上に鎮座ましましている、ということになるのかもしれないなぁ、、、。

そう言えば、歴史に「中世」という時代区分があります。あれ、もともとキリスト教の世界で、救世主が姿を消した後、再度世に降臨されるまでの中間の時、という意味だったのです。人々が救世主の到来を待ちわびる時間だったのですね。歴史学ではそういった意味では使われませんが。

ややステレオタイプな歴史解説は、ヨーロッパの中世は古典古代の後、キリスト教の教義が社会をがんじがらめにしていた時代。ルネサンスと宗教改革が中世の停滞性を打破する、と語ります。なんだか、「中世」にせよ「中年」にせよ、中間の時というものには哀感とか停滞感がつきまとうのかもしれません。

さて、人生の「中世」を生きているものとして、「救い」をSRI(社会的責任投資)に求めようという趣向です。日本のCSRの一大特徴は、「まずSRIありき」であったことです。その存在感の大きさはなかなかスゴイものがあります。果たしてSRIは迷える子羊、日本のCSRを救えるか?

SRIありきであったことは、別にSRIの責任ではありません。大きなSRIファンドにしてみれば、日本企業をポートフォリオに入れないというのは“やっぱない”わけで。かくして、CSRなんて言葉を誰も知らない天下泰平の日本に、突如、海外のSRIファンドから質問状が送られてきた、というのが日本のCSR事始め。SRIはペリーの黒船だったのですね。

その後の反応も、江戸時代末期さながらの様相を呈します。「ナニぃ児童労働だぁ? 日本には日本の思想がある。CSR、討つべし!」と。ワタシが2002~03年頃帰国して講演すると、必ず会場には一人や二人「尊皇の志士」がいらしたものです。

SRIの起源がアメリカの教会の財産運用にあるという話が伝わるに至り、さらには、お酒とかタバコとかに関係する企業を投資対象から除くのが主流、という話が知られるに至り、やっぱりCSRってアッチのモンじゃん、ということになっていきます。「大体、日本企業は雇用を守るためにリストラしないで頑張っているんだ。これこそCSRだろ。そこのとこ、アイツらわかんないんだよなぁ」という声にならない嘆きとともに。

ただ、黒船だった頃はまだよかった。散発的に威容を目にするだけだったから。それがあっという間に、B29の編隊か、さもなければ、ヒッチコックの鳥かよ、っていうくらい、どどーっと質問状が押し寄せるようになります。日本のSRIファンドさんも参戦。シンクタンクさんがこぞって独自の質問状の開発に腕を競うなど、さながら内戦の様相を呈します。

受け取る方はさあ大変。よく聞かれました。「フ、フジイさんっ、一体どの質問状に答えたらいいんですか? とても追いつきません」ということでSRIは日本企業のCSR部署の陣容拡大に少なからぬ貢献をすることになるのであります。

企業内のポジション、コンサルティングや企業評価の需要の増大など、SRIが日本におけるCSRに関するお仕事、CSR関連ビジネスの成長を促したことは間違いありません。そして、SRIの量的拡大と市民権の獲得は、「CSR市場の拡大」にとどまらない様々な波及効果がありました。

日本のCSRを離陸させた功績はSRIにあると言って良いでしょう。次週に続きます。

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プロフィール

1964年生まれ。経済産業研究所コンサルティングフェロー。経済産業省通商機構部参事官。著書に「ヨーロッパのCSRと日本のCSR-何が違い、何を学ぶのか」、共著に「グローバルCSR調達」がある。

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