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藤井敏彦の「CSRの本質」

企業の社会的責任(CSR)とは何なのか。欧米と日本を比較しつつ、その本質を問う。

公共的使命感と社会的責任投資(SRI)

2008年5月12日

(これまでの 藤井敏彦の「CSRの本質」はこちら)

機中です。本朝の通商利益を守護増進すべく夷なる諸国と渡り合ってまいりました。

こんな仕事やってるのにワタシ時差調整がすごく苦手。クビにならないなら出張は避けたいのですが、クビになるので避けられません。睡眠導入剤中毒まであと一歩です。

ただ、飛行機の中だけは悪くないですね。一人になれるから。心優しい対立国の交渉官もいないし、相互不信で強く結ばれた同盟国の交渉官もいない。不眠不休で精勤に励む部下を煩わせなくてもいいし、敬愛する上司もいない。ワタシもともと学者になろうと思っていたのですが、やっぱり組織人には向いてないのかなぁ、、、。


はい、えーと、なんだか読者の皆様に身の上相談しているみたいな感じになってきましたが(笑)。前回の延長で今回は金融という機能の視点からCSR(Corporate Social Responsibility)を考えます。

さて、大変うれしいことに、前回のブログに関し読者の方からメールをいただきました。印象に残るメールでしたので、ご本人のご了解を得て紹介させていただきます。イギリスで社会学の修士を修められ、現在フランスで勉強を続けておられる平城さんです。

私の個人的経験ですが、イギリスの大学に初めて行った際、開発学を学びに来ている日本人学生の多さに驚きました。それまで私はヨーロッパ等先進国しか訪れた事がなく、アジアやアフリカは遠い世界の話でした。

しかし、皮肉的ですが、ヨーロッパに憧れてイギリスに旅立った私は、アジアやアフリカ等に興味を持って帰国しました。やはり旅行や、それらの国々からきていた人たちと話をした事がきっかけでいろいろ考えるようになったのだと思います。

また、私の個人的意見ですが、私たちの世代(自分を今の大学生さん達とまだ同じ世代で括らせて頂きますが)は、私の親世代と違って、物が溢れている時代に生まれたので、何かを手に入れる喜びの為に働くという事に魅力を見いだしていないと思います。

そこで、誰かの為になるような仕事に魅力を感じ、働きがいを感じるのかもしれません。また、経済発展に強い関心を抱く人もいる一方で、今までの経済成長に因る弊害も明るみに出て来ているようなので、その分野に関心を抱くようになる人も昔に比べたらいるのかもしれないと思います。

自分も、日本で大学生をしていた頃は全くそういう事を考える事がなかったので、成長したのかなと思う一方、日本の大学生たちがいろいろと考え、行動されている事に甘い嫉妬を覚えます。そんな若い頃に自分もいろいろ考えていたらよかったなとちょっと後悔しますが、これも人生と諦めます(笑)。

平城さん、ありがとうございました。このように公共的な問題意識を持ち、かつ、公共的使命感を持つに至った理由について自覚的である若い方は、日本という国にとって大切な財産だと思います。日本が成し遂げた経済的繁栄に対する真の意味での果実であるのかもしれません。


さて、公共的関心の強さに比例して扱いにくくなるものが「市場」であります。この相克は「『リベラル』なヨーロッパって?」の回に申し上げたヨーロッパの「ソシアル」と「リベラル」とのそれと同質。市場は、我々の社会の基本的構成要素なので無碍に否定はできないし、かといって全面的に肯定してしまうことも憚られる。市場が解決できない公共課題は沢山あります。市場が作り出す問題や悪化させる問題も多数ある。一方で、多くの問題が市場の機能を通じて解決されてきました。

CSRを考える上でひとつ大きなポイントとなるのは、持続可能性という公共的課題と市場という我々の社会を支える基本機能をいかに接合するか、その工夫であります。

いろいろ議論はあります。現在進行形で様々な人が考えています。思い返せば、CSR黎明期にこの二つの折り合いをつける工夫として華々しく登場したのが「社会的責任投資(SRI: Socially Responsible Investment)」でした。

非常に面白い着想だし、小生も応援しています。ただ、登場してから久しいですが、依然として内在する矛盾を乗り越えられていないような気がします。そのような矛盾を抜きにしても、最近の議論の一部にはやや身勝手というか、言葉を選ばなければ、「なんだかちょっと偽善的」とさえ思われるものさえあります。

二つあります。ひとつは、社会的責任投資(SRI)とは、投資する人が自らの公共的価値観を投資に反映させることです。問われる価値観とは、当然ですが、調査機関や証券会社という中間に介在する組織のそれではありません。

もうひとつは、社会的責任投資は、市場で評価されないような企業の公共的努力、つまり、やっても株価が上がらないような努力、を評価しようというものであったと思います。すなわち、投資家の目から見れば、金銭的投資収益の一定の犠牲という前提から出発したはずです。だからこそ、社会的責任投資の振興のための公的支援が議論されるわけです。関係者の皆さんよくおっしゃいますよね、公的年金を使って盛り上げようって。

これらの点については、次回以降に引き続き考えたいと思います。最後に、次のようなSRIへのエールは、新聞のインタビュー記事なんかでありがちですが、どう思いますか。

「社会を良くするため、環境を守るため、SRIに投資して社会的責任に優れた企業を応援しよう。」

明日にでも証券会社に行って一口買おうって方、貴殿(貴女)の健全なる良識に乾杯!
「うーむっ」と唸ってしまう方、類は友を呼ぶ。相哀れみましょう(笑)。

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プロフィール

1964年生まれ。経済産業研究所コンサルティングフェロー。経済産業省通商機構部参事官。著書に「ヨーロッパのCSRと日本のCSR-何が違い、何を学ぶのか」、共著に「グローバルCSR調達」がある。

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