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藤井敏彦の「CSRの本質」

企業の社会的責任(CSR)とは何なのか。欧米と日本を比較しつつ、その本質を問う。

開発問題、CSRを志すアナタへの就職指南

2008年4月28日

(これまでの 藤井敏彦の「CSRの本質」はこちら)

4月も末です。ワタシと同じく花粉症を患う皆さんにとっては最後の踏ん張りどころ。大学に入ったばかりの若い衆にとってはそろそろ「俺ここで何やってんだろ?」と自省の季節。新入社員各位におかれては給与明細を手にしてプロ意識が芽生えつつある頃かもしれませんね。いや、「辞めちゃおうかな」って人のほうが多いのかな。人生には考えることが沢山あって困ってしまいます。でも、あんまり心配しなくていいですよ。ワタシの経験に照らせば、今の悩みなんてすぐ吹き飛びます。なぜならそのうちもっと困ることが起こるから(笑)。

というわけでCSRにまつわる「プロ」の話、お仕事についてです。最近の学生さんの中には、とりわけ公共政策を学んでおられる大学院生さんにそういう方が多いような気がしますが、発展途上国の開発や貧困問題とかに関心があって、就職先も「その筋」を希望される方が少なからずいらっしゃいます。たまぁにですが、ワタシも相談をお受けすることがあります。皆さんホント立派です。お話伺いながらこちらが勉強させていただいているような感じ。むしろ目的意識がはっきりしている分ぴったりくる職業がすぐには浮かび上がらないことが共通の悩みかもしれません。

中にはかなりの職業経験を積んだ上で「辞めちゃおうかな」って方もいらっしゃいます。「銀行に勤めてるのですが、もっと社会のためになることをやりたくて。フジイさんの本読んでCSRに関心を持ったのですが」といったご質問も。こうなると責任重大。「ギ、ギンコー辞めるって??アナタ『モッタイナイ』って言葉、知ってます?」と思わず聞き返したくなるけど。あまり私的な生活感を滲ませても申し訳ないですから(笑)。

もちろん価値観は人それぞれ。人生の針路はサイコロ転がすでもなんでもして自分で決めてくしかないのですが。ただ、ワタシずっと感心しながら同時にやや不可解にも思っているのですが、なぜ、今の若い人は発展途上国の人々の窮状にそこまで関心を持つのでしょうか。ワタシの若い頃、そんな人ほとんどいなかったけど。今の20台の世代のほうが公共的問題への関心が強い気がします。知り合いの大学の先生とも「一体なぜ日本の若者はかくも公共的になったのか」と二人で首をかしげた次第。

大学院で講義した機会に学生さんに聞いてみました。何人かの人が言っていたのは「旅行で現実を目にして」というもの。なるほど。今の学生さんはそういう辺境の地に旅行したりするのかぁ。ワタシの世代はまだ学生時代の海外旅行なんて卒業旅行だけだったし、パックで大体行き先もアメリカとかヨーロッパとかね。貧困問題や人権問題とはあんまり関係ないとこだったなあ。ちなみにワタシの場合、ゼミの先生の恩赦を得てニュージーランドを3ヶ月かけて自転車で一周したのが、生まれて初めての海外経験です。少しは英語できるようになるかなって思っていたのですが、出会うのは羊と牛ばかり。黙々と自転車こいで帰ってきました。

ヨーロッパではアフリカからの難民や移民が押し寄せるという形である意味アフリカの貧困、人権問題を肌に感じるわけです。地理的に近いし旧宗主国という政治的要因もあり、グローバルな格差を一部背負い込んでいる部分があるから。アフリカの危機はそのまま自分たちの生活を脅かすわけです。その意味で開発問題は身近な問題です。でも、日本という国はそういった厳しい状況を目にすることがほとんどない場所です。最近は少し状況変わってきたけど。それでもサブサハラの飢饉で日本が影響受けるかというと今のところそんな感じではない。せいぜいメディアで報道されるくらい。報道は昔からありました。要すれば実感の伴う接点があまりない。地球が小さな村だったら別なのですが、現実には遠隔の地の出来事に当事者意識を持つのは容易ではありません。では、そのような接点の欠如を若者の旅行体験や海外生活経験に根ざす使命感が補うのでしょうか。

そうかもしれないし、そうであることを望みたいとも思います。国連高等人権弁務官を勤められた緒方さんのような人材が日本からどんどん輩出されれば素晴らしいことです。ただ、職業選択にあたって使命感が逆に視野狭窄をもたらす可能性があることには要注意です。もちろん、開発問題にしてもCSRにしてもそれ自体が独立した実務分野となっていますので、そのものを扱う専門的職業に就くことは一つの方法です。開発だったら国連機関や国内の援助機関への就職、CSRであれば専門コンサルティング業務に就くことはその典型例かもしれません。いずれも素晴らしい道だと思います。ただしポジションの絶対数は少ないのでそれなりの覚悟がいります。

同時に、開発問題やCSRは「総合応用領域」としての性格も強く持っています。CSRについて言えば、あなたはCSRにどのような手段で影響を与えようとしているのか、この点について考えてみることは価値があると思います。自分からCSRというものに働きかけるツールや観点を持つということです。それはコミュニケーションの技能なのかもしれないし、金融知識なのかもしれません。はたまた、マーケティングや調達といった観点かもしれません。

ワタシですか?長らく行政官として飯を食ってきたワタシは政策という観点でCSRを考えようと試みてきました。他の人とちがう視点や手段を持てば対象に働きかける「自由」を手にできます。なんて言うとモットモらしすぎますね。要するにろくに専門性のない仕事を20年以上やってきても、CSRを論じる機会はある、ということで、最初からあまり仕事の幅を狭める必要はないですよってことです。それだけ。使命感や目的意識は大切にしたいものです。ただ、それが職業選択の足かせになっては本末転倒。大切なことはどのような仕事であれ一所懸命に取り組み、あなたなりの視点や道具立てを磨がきながら、同時に目的意識を失わずに勉強を続けることだと思います。あなたが今何歳であろうと将来きっと使命感にかなう仕事ができると思いますよ。

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プロフィール

1964年生まれ。経済産業研究所コンサルティングフェロー。経済産業省通商機構部参事官。著書に「ヨーロッパのCSRと日本のCSR-何が違い、何を学ぶのか」、共著に「グローバルCSR調達」がある。

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