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藤井敏彦の「CSRの本質」

企業の社会的責任(CSR)とは何なのか。欧米と日本を比較しつつ、その本質を問う。

ヨーロッパよ、お前もか...変質するCSR

2008年4月 7日

(これまでの 藤井敏彦の「CSRの本質」はこちら)

 昨年のことになるのですが、ブラッセル時代に大変お世話になったドイツ在住の辻さんという方からメールをいただきました。ご本人の了解を得て紹介させていただきます。ヨーロッパのあるCSR推進団体が主催したセミナーに参加された辻さんの感想です。

「いろんな人の説明を聞いても、なぜそれがCSRなのかよくわからない、という会社が多かったです。たとえば、ある会社が非営利団体を作って、その団体を通して古いPCをアフリカに送っているとか、目の不自由な人のためにsound descriptionのついたテレビを開発した、とか、人の役に立っていいことにはちがいないけれど、もしそれがCSRなら、いまさら改めてCSR,CSRという意味があまりないのでは...CSRが企業の免罪符みたいに使われていて、企業のほんの一部分が何か社会に役に立つことをやっているから、それで責任は果たした、というような感じの出展が多いように思いました。例外としては、豆乳のヨーグルト的なものを作っている会社は、「豆乳が健康にいいから社会の役に立っている」という説明ではなく、「大豆の栽培者とどういう関係をもっているか」という説明がありました。」

 メールを拝見しさもありなんと思うと同時に、辻さんのように健全なる懐疑心をもってCSRの現状をご覧になっている方がいることを心強く思ったしだいです。

 欧州委員会は2004年にバローゾ委員長が就任して以来意識的にCSRを変容させてきました。その象徴がCSRに関する官庁間の力関係の変化です。元々欧州委員会の中でCSRに中心的責任を負っていたのは雇用社会総局でした。若年失業の緩和のため企業に自主的協力を求めるというCSRの出発点を考えればごく自然なことです。しかし、現在、CSRの中心的旗振り役は企業総局になっています。企業の競争力向上を目的とする組織です(欧州委員会の総局は日本でいう省に相当します)。

「社会の持続可能な発展に資するCSR」から「企業の競争力強化に資するCSR」へのシフト、というとモノゴトを単純化しすぎてしまうかもしれません。両者は必ずしも背反するとは限らないので。2つの目標の両立を目指すという点でヨーロッパのCSRの考えは変わっていないのかもしれません。ただし、軸足の場所は明らかに変わりつつあります。

 ヨーロッパのCSRが元々政府主導の運動であった故に、政府の方針転換はCSRの方向づけに直接的に影響します。「CSRが企業の免罪符みたいに使われていて、企業のほんの一部分が何か社会に役に立つことをやっているから、それで責任は果たした、というような感じの出展」は、そのような方向転換を象徴しているように思われます。

 もちろん、CSRの変化の背景にあるのは決してCSRという限定された領域における意見の相違ではありません。より広い政策の方針転換の文脈の上で理解されるべき現象であります。ヨーロッパの二つの政策理念的自画像、すなわち「リベラルヨーロッパ」と「ソシアルヨーロッパ」。ヨーロッパは常にその2つのアイデンティティの間を揺れ動いています。「ソシアルヨーロッパ」の色が少しずつ薄まり、「リベラルヨーロッパ」が次第に鮮明さを増していく中で起こっている様々な変化の一つがCSRです。
 
 では、「リベラルヨーロッパ」、「ソシアルヨーロッパ」とは何でしょうか。来週に考えていきたいと思います。 

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プロフィール

1964年生まれ。経済産業研究所コンサルティングフェロー。経済産業省通商機構部参事官。著書に「ヨーロッパのCSRと日本のCSR-何が違い、何を学ぶのか」、共著に「グローバルCSR調達」がある。

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