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藤井敏彦の「CSRの本質」

企業の社会的責任(CSR)とは何なのか。欧米と日本を比較しつつ、その本質を問う。

効能書きと副作用の微妙な関係

2007年11月26日

(これまでの 藤井敏彦の「CSRの本質」はこちら。

 行政官として、また一時期民間ロビイストとして、ワタシは「政策」というものを相手にすることで社会に小さな居場所を与えられてきました。そのためでしょうか、物事を相対視しようとする傾向が比較的強くあるように思います。諸先生方が説かれる「世の中の真理」を額面通り受け取らず、こうやって異端の論を唱えてみたりしています。よくないことですが、なかなか治りません。

 さて、先日、出張からの帰路、スイス人の紳士と隣り合わせになりました。人見知りするワタシはあまり積極的に人に話しかけるほうではありません。その日は交渉がひとまず終わって家族の待つ東京に帰れるという安堵感からでしょうか、珍しく挨拶をきっかけにして話がはずみました。

 隣席の方は世界的製薬メーカーにお勤めで、動物実験についての全社的会議に出席するために日本に向かわれているとのこと。ヨーロッパで動物実験が非常にセンシティブな問題であることはご存じの方も多いと思います。日本やアメリカでは想像できないくらいヨーロッパの動物愛護団体の力は強い。なかには動物実験をヨーロッパの外に移して批判をかわそうとする会社さえあります。しかし、そのような逃避行には意味がないのでグローバルな社内体制をつくる必要があるのだと隣席の紳士は論じました。

 聞きながら思い出していたのですが、ブラッセル時代のワタシの仕事の一つがEUの新しい化学物質規制案でした。徹底的なリスク評価を求める厳しい規制です。人体への影響を最小限にすることが規制目的でした。しかし、途中で動物実験の問題が急浮上します。化学物質のリスク評価を頻繁に行えば動物実験も比例して増えざるを得ません。この懸念に応えるため規制内容が大きく修正されました。かように彼の地では動物実験が大問題なのです。ちなみに、ある日本の製薬メーカーさんのCSR報告書が「評価対象外」という厳しい判定を受けたのですが、その理由ご存知でしょうか? 動物実験に触れていなかったためです。

 今週の本題はミャンマーの続きです。やや脱線した感がありますが、ワタシが申し上げようとしたことは一つ。すべての事業に社会的効能と社会的副作用があるということです。薬や化学物質の安全性評価の「効能書き」が人々の健康だとすれば「副作用」の一つは動物実験です。ミャンマーで事業を展開している会社にとって雇用拡大や社会貢献が「効能書き」だとすれば、軍事政権への納税は「副作用」といえます。

 何よりも大切なポイントは、そうです、CSRとは本質的に「副作用」についての企業の「責任」であるということです。効能は何時間でも語れるし、何ページでも書き連ねることができるでしょう。CSR報告書は「効能書き」を美しく視覚化したものが多いです。しかし、それらをCSRの本質的部分だと考えることは危険です。なにせ「効能」を述べることは誰にとっても楽しいことですから。雄弁かつ多弁になります。耽溺してしまう会社は少なくありません。心しないと御社もそうなるかもしれません。

 反対に副作用を語ることは苦痛以外のなにものでもありません。できることなら触れたくないと思うのが人情です。しかし、副作用のない薬がないのと同様、いかなる事業、いかなる製品、いかなるサービスであっても、かならず「副作用」をどこかに伴っています。だから説明責任であり、だからCSRなのです。先に動物実験に触れていないCSR報告書が厳しい評価を受けたことを述べました。評価されるCSR報告書とは副作用に向き合う内容のものです。

 素晴らしくよく効く薬の開発は大切なことです。が、CSRと表現してしまうと、おそらくCSRを見誤ります。動物愛護団体との衝突という社会的リスクに目がいかなくなります。ミャンマーで行っている社会貢献をCSRだと世に胸を張ることも同じです。自社の存在を相対的にとらえることはCSR的思考の一つの前提となります。

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プロフィール

1964年生まれ。経済産業研究所コンサルティングフェロー。経済産業省通商機構部参事官。著書に「ヨーロッパのCSRと日本のCSR-何が違い、何を学ぶのか」、共著に「グローバルCSR調達」がある。

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