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藤井敏彦の「CSRの本質」

企業の社会的責任(CSR)とは何なのか。欧米と日本を比較しつつ、その本質を問う。

ミャンマーで起きたことでCSRを計測する

2007年11月19日

(これまでの 藤井敏彦の「CSRの本質」はこちら。

  先週はイギリスBBCの討論番組から出発しました。ミャンマーの軍事政権による人権抑圧でした。ヨーロッパでは「主権国家による自国民の人権侵害」への対処がCSRの一部をなしていることをご紹介しました。

 さて、事態はさらに進みます。日本のテレビニュースでも伝えられましたが、イギリスではトタル社製品への不買運動が起こっています。一方、トタル社は同社の投資と事業がミャンマーの多くの市民の生活の向上に寄与していると反論しています。同社の主張は決しておかしなものではありません。投資の直接的、間接的な経済波及効果は大きいでしょうし、多くの人がトタル社のおかげで職を得ているのも事実だと思います。資源開発がとまればミャンマーの人々はより幸せになるでしょうか? 軍事政権は民主化に追い込まれるのでしょうか? トタル社が撤退してもNGOの圧力に気にかける必要のない他国の石油資本がとってかわるだけではないでしょうか。事態は好転するのでしょうか。難しい質問ですよね。

 しかし、今起きている状況、ミャンマーの軍事政権による人権抑圧が同国に投資をしている企業の事業の正当性を揺るがしているという事態は否定できない現実です。少なくともわざわざ誰のためでもなく不買運動を展開する人たちがいるのです。一体どういうことなのでしょうか。

 日本でCSRが語られるとき、よく耳にしますね。「愛される企業」、「正直で実直」、「優しい企業」などなど。もちろん、CSR広告賞でもねらうためには某かのコピーは必要だし。いや、そんな冷笑的態度はよしましょう。物事を斜から見ても得るものは少ないだろうから。

 会社が愛される存在であり、正直で実直で優しい組織であれば、それは喜ばしいことです。誰が異を唱えるでしょう。小生も諸手をあげて賞賛します。ただ、どうしてもどこか引っかかるものがあります。ちょっと耳あたりが良すぎるような気がしませんか。猜疑心の強いワタシの人格的欠陥の故なのかもしれませんが。

 薬には効能書きだけでなく副作用の警告も必要です。常に。読者のあなたが企業を経営しているとしましょう。あなたの会社は軍事政権下の某国で事業を展開していると想定してみてください。多くの人を雇用し、現地の従業員に十分な給与を支払い敬意をもって接しています。社会貢献にも積極的です。あなたの会社の寄付のおかげで多くの子供たちが学ぶ機会を与えられています。あなたの会社は地域社会で歓迎され尊敬されています。「愛される」企業です。もちろん、来年のCSR報告書の表紙は寄付した学校で嬉々として勉強している子供たちの笑顔が飾ることになります。

 しかし、あなたの会社が納める巨額の法人税、もしくは事業免許税かもしれませんし、もしかしたら採掘ライセンス料かもしれませんが、は、軍事政権の大きな収入源です。もちろん、なにも法律違反はありません。当然、一切の悪意はありません。合法的に事業を行い、法律に従って納税しているだけです。しかし、もしかしたら、兵士が装備する銃も軍の装甲車の一部もあなたの会社が納めた税金によって賄われているかもしれません。彼らの銃口は民主化を求める市民に向けられているかもしれません。

 現実はなんと複雑で、「善意」とはとらえどころのない相対的なものでしょうか。「法令遵守」の評価とはなんと文脈依存的なものでしょうか。会社が「愛される」とは一体どういうことなのでしょうか。決定的回答は誰にもできないと思います。もちろんワタシにも。でも、もう少し考えてみたいと思います。来週そうしてみましょう。

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プロフィール

1964年生まれ。経済産業研究所コンサルティングフェロー。経済産業省通商機構部参事官。著書に「ヨーロッパのCSRと日本のCSR-何が違い、何を学ぶのか」、共著に「グローバルCSR調達」がある。

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