広告経済の時代の始まりか?
2008年1月18日
広告経済という言葉を聞いて何を思い浮かべるだろうか。
広告制作にどれくらいコストがかかり、収入がいくらになるかといった広告の経済構造を思い浮かべる人が多いかもしれない。あるいはまた、広告の市場規模がどれぐらいで、国民経済全体にどんな影響を与えるかといったことを思う人もいるだろう。
しかし、このブログではそうしたことを取り上げたいわけではない。
商品はお金を出して購入し、自分のものにするのが一般的だ。けれども、お金を出すかわりに広告を見ることで製品を手に入れたり、コンテンツを見聞きするビジネスモデルが急速に力を持ってきた。ここでは、そうしたことを指して、「広告経済」と呼ぶことにする。
広告というのはギリシア時代からあるというが、ソフトの生産や流通が、その販売収入ではなくて、広告によって大幅に支えられようとしている現在は、ソフト産業が商品経済から広告経済へと移行しつつあるとみることができるのではないか。
「広告によってコンテンツの制作や流通を支える」というビジネスモデルそのものは、新しいものではない。言うまでもなく、ラジオやテレビの民放がそうだ。新聞や雑誌も、部分的に、そうした形で収入を得ている。
「広告経済」が、テレビやラジオのようなビジネスモデルとどう違うのか。ひと言で言えば、商品経済を浸食するパワーが違う、ということになるだろう。これまでと違い、商品経済の根っこをほり崩すような形で広告経済への移行が起こっている。
広告によってコンテンツに無料でアクセスできるというのは、利用者にとってとても魅力的に見えるが、既存のメディア企業は、いままでの存立基盤を崩され、産業構造の根本的な見直しを迫られる。メディア産業のラディカルな変化は、社会全体にも大きな影響をあたえずにはいない。
こうしたビジネスモデルは、グーグルが深化させていったものだが、新聞、映像、本、音楽と広範なソフトに広がり始めている。その意味について考えてみたい、というのがこのブログの趣旨である。
ネットではまだマイクロペイメント(小額決済)の仕組みがととのわず、ソフトの購入モデルが成り立ちにくいことから、そうしたことも広告依存の傾向に拍車をかけている。マイクロペイメントが普及してくれば、いまよりはソフト販売は増えていくだろう。しかし、日本よりもはるかにカード社会になっていて、小額課金の仕組みもあるアメリカで、より顕著に商品経済から広告経済へ移行している様子が見てとれるという事実は、こうした変化の原因が、小額決済の不備のせいとばかりはいえないことを物語っているように思われる。
グーグルなどが主導してきたこの変化は、ネットやデジタルの特質に深く根ざすもので、そのビジネスモデルを分析することで、意識されにくいネットやデジタルの特徴をえぐり出すことが可能ではないか。また逆に、ネットやデジタルの構造がこうした変化を支えてもいるのではないか。広告経済がいかにして生まれ、その問題点はどこにあり、今後どのような発展が予想されるかを考えてみたい。
経済構造の変化に関して、「フリーエコノミー」といった言い方をされることもある。リナックスに代表されるオープンソースのソフトが生まれ、クリエイティヴ・コモンズのようにパブリック・ドメインの著作物を拡大していこうという動きが顕著になっている。きわめて商業主義的な行為のたまものである広告経済と、対抗文化などにもその淵源を求めることができるボランタリーなフリーエコノミーはまったく異なる概念ではあるが、利用者サイドに立ってみれば似て見える点も多い。どちらも無料もしくは低価格で利用でき、利用にあたっての制限が少ないことがしばしばである。こうしたふたつの動きが、長い歴史的変化のなかでほとんど同時期に起こったということも、偶然ではないように思われる。フリーエコノミーと広告経済の関係はどのようなものなのだろうか。そうしたことについても、関心を向けていきたいと思っている。
歌田明弘の「ネットと広告経済の行方」
過去の記事
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- 広告経済か無料経済か2009年11月16日
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