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高森郁哉の「ArtとTechの明日が見たい」

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これだからサッカーを知らんアメリカ人は

2010年9月 7日

お、ロベカルのあの超絶フリーキックがワイアードの記事で取り上げられたか、と思って読み始め、冒頭の「ボールが一旦右に行った後、左方向に鋭くカーブして、物理学を否定するかのような奇跡的ゴール」(原文: a free kick that first went right, then curved sharply to the left in what looked like a physics-defying fluke)という部分で噴き出し、いやこれは何かのジョークかもと思い直して読み進めると、「もし重力(とゴールネット)の干渉がなければ、ボールはらせん形を描き続けたと考えられる」などという妙な説明が図と共に登場する段階に及んでようやく、ああマジだったのね、とあきれ返った次第。

まあfootballと言えば第一義的にアメリカンフットボールを指すかの国だから、アメフトのルールは熟知していてもサッカーのボールなんぞ生まれてこのかた一度も蹴ったことない、なんていうのが平均的な米国人なのかもしれない。でも、おそらく野球の次ぐらいにサッカーがポピュラーなスポーツになっているこの国では、相当数の人が体育の授業などを通じてサッカーボールに触れたことがあるだろうし、そうした経験があれば上で抜き出したような記述が「なんかおかしいぞ」と感じられたのではないだろうか。今回は、その「なんかおかしい」の部分をもう少し突っ込んで書いてみたい。

■「右に行った後、左にカーブ」が奇跡的?

足の甲の内側や外側で、ボールの中心よりややずらした位置にインパクトを与えて蹴り出すことで、ボールに回転が加わり、浮き球であれば弧を描くような軌道になる。これは小中学生のサッカー少年でも体験的に知っていることだ。何もこれはサッカーに限った話ではなく、野球にしろバレーボールにしろ、投げたり打ったりするボールがスピンしていれば、そのボールは回転する方向に曲がって進む。ロベカルの例で言えば、左足の甲のやや外より(アウトステップ)で左回りの回転を与え、左にカーブするボールを蹴っている。

では、なぜ曲がるのか? 平易な説明では、回転によってボールの左右の気圧に差が生じ、左回転なら気圧の低い左側にボールが押し流されるから、とされている。もっと専門的には、流体の挙動を表すベルヌーイの定理と、回転する球に揚力を生じさせるマグヌス効果というのが関係しているそうだが、ひとまずこの辺にとどめておきたい。

ここで問題にしたいのはそれ以前の話。左に曲がるボールを蹴るとき、最初からゴールに向けて蹴ったらどうなるか? 当然ゴールの左にそれて外れる。ゴールの枠内に決めるためには、ターゲットより右に向けて蹴り出す必要がある。これも当然だ。キックする起点とゴールの終点を結ぶ直線を軸にして見ると、確かに右に行ってから左に戻ってくる動きをするけれど、それ自体は何ら不思議でもなければ奇跡でもない。原文の筆者が書いていることは本質的に、斜め上に投げた球の放物線を指して「いったん上に向かって途中から下に向かう、奇跡のような軌跡」と言っているのと大差ない(ちょっと駄洒落入ってしまった)。

■「重力がなければ螺旋を描く」のうさん臭さ

次は、原文筆者の独自の記述ではなくて、元の論文からの受け売り。「もし重力(とゴールネット)の干渉がなければ、ボールはらせん形を描き続けたと考えられる」という部分だけど、この図がまた嘘くさい。そもそも重力がなければ地面を駆けてボールを蹴ることもできないし、それ以前にボールを地面に静止させておけない、さらに言えば地表に1気圧の大気がとどまることもないので、このタラレバにどれだけ意味があるのかも疑問だが、そのへんはひとまず大目に見て、ロベカルのシュートと同じ回転とスピードのボールを無重力の1気圧の空間に射出できたとしよう。

その場合、下方向に働く力がなくなるだけで、前方向への運動エネルギーに対抗する力が特に加わるわけでもないのに、なぜゴールラインをたかだか2メートル程度越えたあたりでブーメランみたいに反対側に急カーブして、螺旋軌道へ収束していくのだろう? カーブをかけたシュートが外れてクロスバーを越えるシーンはよく見るけど、ボールが観客席に届く前にブーメランみたいに戻ってきたなんて話は聞いたことがない。

原文の2段落目からリンクが張られている論文(New Journal of Physicsというちゃんとした英国の学術誌に掲載されたようだ)を見ると、水槽の中の回転球を使って実験している写真がある。自分に論文の内容を理解できるほどの素養がないのが残念だが、推測するに、液体の中で運動体にかかる抵抗を空気の抵抗に置き換えて計算する際に、何らかのミスがあったのではなかろうか。素朴な実感として、35メートルもの距離をあれだけの勢いで前方に進んだロベカルのボールが、重力が無くなっただけでいきなり40メートルにも届かないうちにクルクル螺旋運動を始めるなんて、いくらなんでもあり得ないのではないかという気がする。

無重力と回転体でちょっとググってみたら、土井宇宙飛行士が軌道上で撮影したブーメランの映像というのが見つかった。

これを見ても、重力がなくなったからと言って極端にブーメランの挙動が変わるようには見えない。重力がない状態でロベカルのシュートボールがゴール前の空中でくるくる回るとする上の図は、やはり何か間違っている気がする。

■ロベカルがすごいのは

これだけ文を連ねて、ロベルト・カルロスのフリーキックは奇跡的でもなんでもない、なんてことを主張したいのではもちろんない。ただし、記事にあったような「一旦右に行った後、左方向に鋭くカーブ」するからすごいのでもなく、軌道が「尋常でない」からでもない。

ごく平凡な身体能力の人間でも、少しトレーニングを積めば弧を描くボールは蹴られるようになる。ただしすぐに気づくのは、カーブのかかり具合とボールのスピードが通常はトレードオフの関係にあるということだ。つまり、大きく曲げようとすると球速はゆっくりめになるし、速いボールを蹴ろうとすると曲がり具合は少なくなる。大きく曲がるだけで球速の伴わないフリーキックなら、キーパーに軌道を読まれてゴールにつながらない。

ロベカルが本当にすごいのは、卓越した身体能力であの弾丸ライナーを生むインパクトと大きなカーブを生むスピンを両立させるキックを繰り出せることだ。あのスピードであれだけ鋭く曲がったからこそ、名手ファビアン・バルテズが呆然と見送るしかなかったのだ。

……ああ、本当はこのあとクリスティアーノ・ロナウドや本田圭佑の無回転フリーキックに話をつなげたかったのだが、長くなりすぎるので断念。動画だけおまけに貼りつけておきます。


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プロフィール

フリーランスのライター、翻訳者としての活動を経て、2010年3月、ウェブ・メディア・地域事業を手がける(株)コメディアの代表取締役に。多摩地域情報サイト「たまプレ!」編集長。ウェブ媒体などへの寄稿も映画評を中心に継続している。

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