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高森郁哉の「ArtとTechの明日が見たい」

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そして3D映像は“必然”になった--「アバターの日」@川崎IMAX

2009年8月21日

avatar_imax.jpg「2001年に最初に3Dで作業したとき、僕はもう二度と後戻りはしない、フィルムでも2Dでも撮影しないと宣言したんだ」と、7月のComic Conでジェイムズ・キャメロン監督はコメントしていた(下の動画)。『アバター』の3D特別映像を観たあとでは、素直に納得できる。「D」はディメンション(次元)の略だが、1次元プラスされることで、映し出される世界と観客の距離が飛躍的に縮まり、自分がまさにその場に身を置いて出来事を体験しているような感覚に浸れる。デジタル撮影のクリアな実写と、豊かな質感と生命感で描かれたクリーチャーや植物のCGが緻密に配置され、被写界深度とフォーカス、構図と照明が極めて高い水準で統制された、瑞々しい美しさに満ちた空間に興奮し、陶酔し、思い出すたびに震えるような15分だった。

特別映像の冒頭、キャメロン監督が登場して、時代は22世紀、元海兵のジェイクがパンドラという星に旅する、そこはナヴィという種族の住む星でもある、といった具合に簡単に設定を紹介してから、本編映像が始まる。昨日取り上げた予告編を見たらおおよそ予想がついたのではないかと思うが、下半身が麻痺しているジェイクは、先端の脳医学処置によってナヴィの男と意識がリンクし、その身体を自在に操れるようになる。つまり、このナヴィがジェイクの化身(avatar)になるわけだ。

象徴的なのが、ジェイクがナヴィの中で覚醒してからの描写。ジェイク目線の視界になると、はじめ右目と左目の像が一致せず二重になっているのだが、眼球を司る運動神経に馴染んだのか、じきに2つの像がぴたりと一致する。視差を持つ左右の目からの像が結ばれることで立体的な像を認識するというプロセスを、観客もまた3D映像で目撃する。ここでキャメロン監督は、「ナヴィはジェイクの化身であると同時に、観客のあなたの化身でもある」と示唆しているように思える。身体の自由を獲得したジェイクが興奮して歩き回り喜びを表す様子は、3D映像という新たな表現手法を得た監督の歓喜と自信にも重なる。

映画に限らず、小説でも演劇でも、物語を味わうということは、他者の生を疑似体験することにほかならない。他者の内面に入り込み、その人の目で見て耳で聞くことを仮想的に経験する。そう考えると、「アバター」を通じてパンドラでの冒険や戦いを体験するこのストーリーを表現するのに、3D映画が選択されたのは必然だった。いやむしろ、キャメロン監督がデジタル3D映像技術に出会ったからこそ、『アバター』が生まれたのだ。飛び出し効果などの単なるギミックではなく、立体的な映像がこの物語の存在理由になっている、と言えば少々大げさだろうか。

109シネマズ川崎 IMAXデジタルシアターに前回行ったときに、3Dのデモリールを数本観たが、製作年が違うので当然とはいえ、それらから3D撮影とポストプロダクションに飛躍的な進歩があったことが今日確認できた。『アバター』は映画史に残る作品になるし、今後の映画製作を変えるのもほぼ間違いないだろう。12月には一人でも多くの人に、時代の最先端の芸術と技術が融合した作品を鑑賞し、「未来」を目撃してほしいと思う。

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109シネマズ IMAXデジタルシアター 作品情報



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プロフィール

フリーランスのライター、翻訳者としての活動を経て、2010年3月、ウェブ・メディア・地域事業を手がける(株)コメディアの代表取締役に。多摩地域情報サイト「たまプレ!」編集長。ウェブ媒体などへの寄稿も映画評を中心に継続している。

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