『007/慰めの報酬』:より激しく、より複雑に進化した「21世紀のボンド」、意外にエコの要素も(前)
2009年1月16日
『007/慰めの報酬』
1月17日(土)18日(日)先行上映
1月24日(土)より丸の内ルーブルほか全国ロードショー
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
原題の"Quantum of Solace"は、イアン・フレミングの短編集『007/薔薇と拳銃』(井上一夫訳、創元推理文庫刊)に収録された『ナッソーの夜』に出てくるフレーズで、井上氏は「慰藉(いしゃ)の量」と訳している。この短編では、20世紀半ばの英植民省で働く男が英ウェールズ地方出身の美人キャビンアテンダントと結婚し、赴任先のバーミューダで自分が節制してまで妻につくしたのに、現地の若いプレイボーイと浮気されたことで妻への情を失い、冷酷に復讐するものの自身も没落してしまうという話が語られる。ここでは夫婦の間で相手を思いやる心、同情を表す言葉として「慰め」が使われていて、相手に裏切られて「慰めの量」がゼロになってはもはや一緒に生きていけないが、だからといって復讐しても自滅するだけだ――という男女の仲についての教訓話めいた体裁をとっている。
この話は、帝国主義時代後期の英国と、植民地政策に抵抗して独立した米国などの旧植民地との関係として解釈できる。田舎者を新天地に連れて行ってすみかを与えリソースも投じたのに、現地の者どうしで結託して裏切りやがって、というわけだ(もちろんこれは支配する側の理屈で、支配された側にとってはとんでもない言いがかりだが)。ただし、相手に攻撃されたからといって、力ずくで復讐しても自らの活力を浪費するだけで、復讐は新たな復讐を生むものだから、情を残しどこかで折り合いをつけることが必要だ、というフレミングの卓見であり、それは9.11後の今日も十分有効なメッセージだ(なぜまだ有効かというと、半世紀前から国際関係のあり方がほとんど進歩していないからだろう)。
さて、映画『007/慰めの報酬』では、前作『カジノ・ロワイヤル』で愛し裏切られたヴェスパー(エヴァ・グリーン)との死別が、ジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)のキャラクターをより複雑にしている。ボンドは英国秘密情報部(通称MI6)のエージェントとしての任務を遂行しながらも、ヴェスパーを操っていた闇の組織の幹部を突き止めようと一人で調査に動く。追跡と格闘の末に、陰謀阻止の手がかりになりそうな関係者や味方をも次々に死なせてしまうボンドに、MI6の上司M(ジュディ・デンチ)は「ボンドが私情にかられ復讐に走っているのでは」と疑い始める。
その組織の幹部、ドミニク・グリーン(『潜水服は蝶の夢を見る』の片目しか動かせないロックトイン症候群患者の役で強烈な“目力”を印象づけたマチュー・アマルリック)の表の顔は、環境保護という名目で土地を買収する慈善団体「グリーン・プラネット」のCEO。だがその裏では、ボリビアの土地に眠る貴重な天然資源の独占を目論み、それを利用して世界を支配することを企んでいる。グリーンはボリビアの元独裁者と共謀しているが、この男に両親を殺され復讐を狙うカミーユ(オルガ・キュリレンコ)とボンドが出会い、2人は行動を共にしグリーンらの打倒を目指す……。
とまあ、このようにストーリーが展開するわけだが、ダニエル・クレイグの体を張った激しくスピーディーなアクションが『カジノ・ロワイヤル』から質、量ともにアップしており、しかも上映時間の1時間46分は007シリーズ史上最短というから、最もアクションが濃縮されたボンド映画と言える。クレイグが初めてボンドを演じた前作でも指摘されたように、以前のシリーズでみられた優雅でスマート、時には絵空事のようでもあった派手派手しいアクションの代わりに、マット・デイモン主演の「ジェイソン・ボーン」三部作に近い、鍛え上げられた肉体を駆使したリアルでタイトなアクションをテンポ良い編集で見せるスタイルは今作でも踏襲されている。
アクションのテンポが時代とともに速くなるというのは、動作に対する映画の作り手と観客の感覚の変化を反映した必然の流れだろう(昔のボンド映画の優雅さを懐かしむファンの気持ちも理解できるが)。たまたま最近ヒッチコックの『暗殺者の家』(1934年の英国映画で、原題"The Man Who Knew Too Much"。これをセルフリメイクしたのが1956年の『知りすぎた男』)を観たのだが、要人暗殺の陰謀を偶然知った夫婦に悪人から「子供を誘拐した。秘密を口外したら子供を殺すぞ」と脅迫する手紙が届くシーンでは、妻がそれを読んでから目がうつろになり、よろよろとふらつき、ぱったりと倒れて気を失うまで10秒ぐらいかかる。また、夫が悪の一味の歯科医院に潜入し患者のふりをして診察を受けるシーンでも、夫に気づいた歯医者が吸入器で麻酔を吸わせようとするが、夫は診療イスに縛り付けられているわけでもないのに、「何をする気だ!」とか言いながら医者にガス吸入器を顔に当てられるまで5秒ほどただおとなしく座っている(そこからようやく格闘になるけれど)。今の感覚ではあまりにたっぷり、もったりした演技で笑えるが、ヒッチコックにとっても当時の観客にとってもその動作のタイム感が自然だったのだろうし、1960年代から始まったボンド映画の各シリーズ作も、それぞれの時代の感覚に合ったテンポでアクションを演出していたはずだ。
『ネバーランド』『君のためなら千回でも』といったドラマ映画でキャリアを確立したドイツ出身のマーク・フォースター監督(個人的に特に好きなのは『ステイ』)にとっては、初挑戦となるアクション映画であり、しかも前作が評価も高く興行的にも成功していたので、ある程度“ボーン風”のスタイルを引き継ぐのはやむを得なかっただろうし、多大な期待とプレッシャーの中、世界中の観客が納得する作品を完成させたことは大いに評価できる(2008年10月末の海外公開後5週連続で海外成績1位獲得、米国ではシリーズ最高の興行収入を達成)。
(後半に続く)
高森郁哉の「ArtとTechの明日が見たい」
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