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白田秀彰の「網言録」

情報法のエキスパートが、日常生活から国家論まで「そもそも論」を展開し、これからどう生き抜くべきかを語る。

第十四回 服装III

2007年8月15日


(白田秀彰の「網言録」第十三回より続く)

ここで、読者は「シャツはどのような位置付けにあるのか」という疑問を抱いたと思う。実際に、現在のカジュアルな服装の大部分は、シャツやセーターから派生したと見られるような服で占められている。その答えを一言で言えば、「シャツは下着であるから、人に見せるものではなかった」ということになる。現在でも「シャツは下着だよ派」と「シャツは上着化したよ派」での不毛な闘いが続いているわけだが、歴史的事実を重んじる私の立場からすれば、「シャツは下着だよ派」に軍配を上げたい。

服とシャツとの関係を端的に示すものとして、西洋式のホテルのベッドを思い起こしてもらうことがもっとも適切だ。あの、まるで人間を入れる封筒のようにぺったりとマットレスに密着して毛布をセットしてあるベッドを思い出そう。薄い毛布が一枚あり、その毛布の人間の身体に触れる部分には糊の利いたシーツが被せてある。マットレス上にも同様にシーツがあり、人間の身体が触れる部分からマットレスを保護している。ふっくらとした綿の布団になれている日本人からすれば、心許ない夜具ではあるが、寒暖の調整は空調によって行うことになっているので、毛布一枚で十分だと考えられているのだ。ちなみに、この西洋式の夜具において、人間は裸で寝ることが想定されていた。その後、室内着としてのシャツやチュニックからパジャマやネグリジェが発展していくことになる。

さて、ここで毛布→ジャケット(いずれもウールまれにシルク)、シーツ→シャツ(いずれもリネンあるいはコットン)と考えれば、夜具の仕組みと服の仕組みが同一の論理で統合されていることがわかるだろう。かつてはドライクリーニング技術が無かったわけだから、ウールやシルクは洗濯不能であった。だから洗わない。そこで人間の脂が付着する可能性のある部分には、洗濯可能であったリネンあるいはコットンの布を当てて、ウールを保護しているのだ。あくまでも服の本体はウール部分であり、シャツはその保護シートとして存在していた。

そのように考えれば、現代においてもシャツの襟がジャケットの襟より1cmほど高くなければならない理由、シャツの袖がジャケットの袖よりも1.5cmほど出ていなければならない理由がわかるだろう。人間の体が服に直接接することは避けなければならないのだ。また同様に、現在のように、襟のないTシャツの上にジャケットを羽織ることや、半袖のシャツやポロシャツの上にジャケットを羽織ることのヘンテコさ加減が分かっていただけるかと思う。まあ、現在では一般的な「着こなし」らしいので、強いて批判するつもりはないが。

さて、男性読者であれば、次の反論が頭をよぎるだろう。「下半身はどうなるのか。ブリーフから出た生足がそのままトラウザーズに接しているではないか」と。実は、現在のような形態のブリーフが現れたのは、そんなに古い時代ではない。第二次世界対戦が始まるすこし前あたり、アメリカのどこかのスポーツ服メーカーが作ったのが最初だった、というような記事を読んだことがある。それでは、それ以前の下半身事情がどうであったのかといえば、ノーパンであった。その証拠として、以前のシャツは裾がかなり長く、その長い裾をもって腰周りを包むようにして着用し、その上からトラウザーズを履いていたのだ。事実、シャツの裾部分が茶色く変色した史料としてのシャツが何枚も存在する[1]。

この事実は、「服本体であるウールを肌に直に接しないようにする」という原則に反しているように思われる。しかし、歴史とは面白いもので、原則は破られていないのだ。なぜなら、かつてトラウザーズは、正式の服としては存在していなかったから。現在の私達が着用しているようなトラウザーズは、もともと脛を保護する労働着、作業着から派生しており、フランス革命期である18世紀末以降、市民階級の服として採用されたものなのだ。それ以前までの高貴な男性は、タイツ(!)を履いていた。あるいはそのタイツの上にブリーチズあるいはキュロットと呼ばれる裾の閉じた膝上丈のパンツを履いていたのだ。タイツの素材については不明だが、着用部位から考えて、洗濯可能な素材で作られていたにちがいない。こうした背景があるので、下半身についてはトラウザーズを肌から保護する下着が発達しなかったのだろう。

しかしながら、スーツ着用時の正式な靴下が、膝丈まであるホーズ(ロング・ソックス)であることから、実質的には腿から膝までが剥き出しになっているにすぎない。そして、ちゃんとその部分の問題を解決するものが存在するのだが、それについては、またいずれ触れたい。

* * * * *

[1] このことを知れば、シャツの裾を出して着用することが、どれほど下品なこととされたかも容易に理解されるだろう。

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プロフィール

1968年生まれ。法政大学社会学部准教授。専門は情報法、知的財産権法。著書に『コピーライトの史的展開』、Hotwired Japan連載をまとめた『インターネットの法と慣習』がある。HPは、こちら

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