第廿回 和装 IV
2007年9月26日
(白田秀彰の「網言録」第十九回より続く)
これまでの記述で、「着物」というアーキテクチャが、私達の身体や立居振舞に大きな影響を及ぼしていることを納得していただけたかと思う。洋服に慣れた私達には、和装の立居振舞について理解することで、逆に洋服というアーキテクチャの特徴について意識する中立的な視点を得ることができるだろう。
近代の主体であったブルジョワたちのダーク・スーツは、それ以前の宮廷服や軍服・乗馬服の子孫であり、当然そうした貴族的文化を簡略化しつつ受け継いでいる。私の推測では、貴族の証であった騎馬での軍役にあわせて甲冑や軍服は作られ、その胴体部分 torso は、長時間の騎行に耐えられる姿勢に合理化されていたはずだ。当然、貴族は、騎馬姿勢になれていたのだから、日常的にもやけに胸を張った姿勢をとっていたはずだ。
このように考えると、現代においても乗馬を楽しんでいる人たちは、おそらくスーツ姿がサマになっているのではないかと推測する。私も三回ほど乗馬したことがあるが、姿勢を正しくし、頭から尻までの重心をまっすぐに保たないと、馬の歩行による上下動で首や腰や背中を傷めかねない。すなわち、西洋の操身法でいう「正しい姿勢」でないと長時間の騎行には耐えられないことがすぐにわかる。
さらに、そうした胸を張った姿勢が「(貴族的で)カッコイイ」わけであるから、その姿勢のまま宮廷服だの、それからその子孫であるスーツの上着がデザインされ、またそうした胸を張った姿勢の服で踊る西洋のクラシックなダンスにおいて、男性も女性もかなり胸を張り反った姿勢を維持したまま踊ることになるわけだ。社交ダンスの教則本をみると、男性についても女性についても、まず第一に腰から頭までを正しい姿勢で維持し、特に男性であれば、腕を水平に正しい位置に上げ続けることが要求されていることがわかる。
何かの本で読んだのだが、高貴な振舞の一つとして、頭を動かさないことが挙げられていた。高貴な人は、あたかも胸像のように胸と頭が連動せねばならず、例えば後ろや横を見なければならない場合には、首ではなく胸から動かすのだそうだ。それが「威厳のある態度なのだ」というようなことが書かれていた。
そうした貴族風の儀式的エレガンスを基本構造として維持しつつ、近代において優勢となった市民階層の労働様式、すなわち商業にともなう事務労働に必要な合理性を加味しつつ成長してきたのが、現代のスーツ・スタイルである。そうしたスーツ・スタイルには、和服と茶道との関係にみられるような、スーツと近代的生活様式の関係が存在するはずだ。西洋化してしまった現代の私達には、そうした様式が日常化しているので、それと気がつかないだけだと私は考えている。
さて、現代の日常的な服というと、おそらく世界的にTシャツとジーンズ、あるいはショートパンツ、そしてスニーカーということになるだろう。皺にならず、着崩れず、汚れても破れても構わない、身体も自由に動かせて、寝るときも仕事に行くときも基本的に同じ格好で構わないことになる。それらを着用するにあたっては何らの規範もなく、どのような色だろうと、どのようなメッセージがプリントされていようと、誰も気にしない。それらは、確かに自由であり楽であり、そして現代の生産技術が生み出した「合理的な服」であることには間違いがない。私だって若い頃は、何も知らず「自由」に生活していたのだ。
しかし、それらの服は、限りない自由を与えてくれる代わりに、何らの規範性も暗示していない。いやむしろ、だらしない姿勢での歩行、街路に座り込み、ソファーで眠り、ジャンクフードで腹を満たす... といった、いわゆるとても「現代的な」特に「現代アメリカ的な」生活を許すアーキテクチャなのではないか。そうした「現代的な」操身法しか身につけていない若い人たちが、スーツや和服を着たときに感じる「窮屈さ」、またそれを傍から見ている私達が感じる「違和感」が、Tシャツ・スタイルの無規範性を証明しているのではないか。
西洋近代を受け入れて成立しているはずの私達の社会制度や日常生活様式が、どうもグダグダと崩壊しつつあるようだと私は考えている。その崩壊を阻止し近代的諸価値を維持する「拘束衣としてのスーツ・スタイル」に代表されるクラシックな服装。それは、私達に秩序への美意識と合理性があれば、社会制度や日常生活様式を維持する鍵となりうると私は主張している。もちろん、100年前に存在しなかった諸物が、現代の我々の生活空間を満たしている。しかし、そうした逸脱もまた美意識や合理性によって、秩序の中に統合しうるはずだ。近代の価値観や美学とはそうしたものだった。
仮に日本人読者が、ここまで解説してきた近代の美意識や合理性に抵抗感や反感を持つのであれば、日本の伝統的美意識なり価値観を生活において採用してくれることを願う。その他の国の人々であれば、それぞれの民族文化そして民族の規範を生活において採用してくれることを願う。それらは、私達の世界を維持してきた「価値」を維持するあり方だからだ。
これで、「服装 I〜V」に対応する「和装I〜IV」を用いた補足説明を終えたい。
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白田秀彰の「網言録」
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