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白田秀彰の「網言録」

情報法のエキスパートが、日常生活から国家論まで「そもそも論」を展開し、これからどう生き抜くべきかを語る。

第十三回 服装II

2007年8月 8日

(白田秀彰の「網言録」第十二回より続く)

服装の格ということで考えるなら、公衆の面前に破廉恥な格好で現れることができるのは、国王とか皇帝とかそういう人に限られることがわかる。彼らは誰に対しても礼を尽くす義務を負わない。── もちろん、貧しいが故に、あるいは愚かであるが故に破廉恥な格好をせざる得ない人たちがいたのは事実だ。しかし、そうした人たちは 表通りには出てくることができず、仮に出てきたとしても軽蔑と嘲笑の対象となった。服装だけがその人の社会的地位と資産状況を表明し得た時代のイヤーな状況だ、という評価は否定できないが、それが規範を維持する社会的圧力になったことも、また事実だ[1]。

これが、かつての欧州において王族がファッション・リーダーたりえた理由だ。彼らだけが服装に関する規範を破ることができる。彼らが受け入れたファッションであるならば、それらを臣民たちが真似しても、彼らに失礼にあたることはないだろう。基本的に服装の自由を求めていた臣民にしてみれば、王様がなにか新しいことを始めたなら、とりあえず飛びついてみたいと考えるのは当然だ。さて、では王族がたとえば下着姿で臣民の前に現れるだろうか。まあ、そういうことはないだろう。彼らは服装において自らの富と権勢を示す必要があるのだから、当然に最高の服装をしていた。

国王が臨席する場においては、誰もが最高位の礼装を要求された。それは「見る者」である国王を満足させ権威づける、秩序だった儀式的空間を生み出すための道具として義務付けられた。礼服の着用者には、国王に会う資格のある自らの地位と、最高位の礼装を調えることができる自らの財力を誇示するという主観的利益から、誇らしく思う面もあったとも思う。しかし、基本的に彼らは宮廷において、堅苦しい服装を強制され、儀式ばった振舞を強制されていたのだ。そうした臣下たちは、お互いの服装を「見合う」ことで、国王の権威と規範強制力を相互に確認し強化しあっていたのだ。

一方、現在のいわゆる「カジュアルな服」といわれるものは、規範に拘束されない服ということになる。今では、それについて、ありとあらゆるデザインが試みられていて、そこには何らの規範性もない。というか、規範を逸脱していることこそが「ファッショナブルだ」ということになっている。しかしながら、もともとの「カジュアルな服」とは、ガッチリ規範の中に組み込まれていた。

というのは、100年ほど昔まで、女性服も男性服も、それぞれ基本的には一種類のデザインしか存在しなかったからだ。女性の服には多くの装飾的要素があるので、一見するとありとあらゆる多様なスタイルがあったように見えるが、本質的には古代から続くチュニック(tunic 袖付ワンピース)のバリエーションに過ぎない[2]。男性の服は、『性とスーツ』の記述によれば、金属製甲冑を作る必要から生じた「立体裁断技術」が、男性服をチュニックとは別系統で発展させることになったとされる。こうした男性服の原型とは、詰襟でかつピッタリと身体に沿ったジャケットということになる。きつめの学生服といえば日本の読者にはわかりやすいだろう。その証拠に、一般的なジャケットの襟を立てて、胸元を閉じてみれば、それが詰襟の襟を外側に折り返したものであることがわかるだろう。

さて、カジュアルな服とは、要するに礼服以外を指す。そこで、「服」というものがみんなジャケット形態である以上、みんな何らかの変形をされたジャケットを着ていたのだ。それは、職業に応じて、あるいはスポーツ等の目的に応じて変形された。乗馬用、狩猟用、釣り用、船上防寒用、テニス用、ゴルフ用、自動車・バイクドライブ用等など。今からすると信じられないかもしれないが、100年ほど前のスポーツ大会の写真をみれば、ほぼ全員がジャケットを着て競技している様子がわかると思う[3]。それらは、だいたいにおいてスポーツ・ジャケットと呼称された。その当時のアルプス登頂隊や熱帯・極地探検隊ですら、ジャケット・スタイルだったことが、そうした形の服しか存在していなかったことを証明している。

だから、それらスーツの上着のような服はスポーティーなんですよ。

今では、オッサンの冬服の代名詞みたいになってるツィード・ジャケットは、そもそも狩猟や釣りに用いられる野良仕事用の服であるカントリー・スーツのジャケットだけが残ったものだ。なぜジャケットだけが残ったのかといえば、トラウザーズはジャケットなんかよりも早く擦り切れて、穴が開いて捨てられているからだ。で、何故にツィード・ジャケットが──特に古くてくたびれているほど──「カッコイイ」ということになったかといえば、それは着用者が「狩猟だの釣りだのするような自分の領地を持っているジェントリー(郷紳)である」ということを象徴していたからだ。こうした、貴族的生活を匂わせることでカッコイイということになっている、実際にはあまりカッコよくない作業着や実用着由来の服はいっぱいある。それらについては、なかなか面白いので 後でネチネチと取り上げたい。

* * * * *

[1] http://hotwired.goo.ne.jp/original/shirata/060328/02.html 参照のこと。

[2] 女性服へ男性服の要素が導入され始めたのは19世紀半ば過ぎかららしい。最初は作業着、運動着といった非日常の服から導入が開始された。さらに日常着としてのチュニックを基本とした婦人服の概念を打ち倒し、男性服の要素を女性服に導入することに成功し定着させたのが、ココ・シャネルだったということだ。すると現在の女性服の「傾向 trend」が開始されて、ようやく80年程ということになる。

[3] さすがにジャケット着用では動きにくい場合には、ジャケットを脱いでも許されたが、その代わり ウェストコートあるいはセーターを着用しなければならなかった。

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プロフィール

1968年生まれ。法政大学社会学部准教授。専門は情報法、知的財産権法。著書に『コピーライトの史的展開』、Hotwired Japan連載をまとめた『インターネットの法と慣習』がある。HPは、こちら

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