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白田秀彰の「網言録」

情報法のエキスパートが、日常生活から国家論まで「そもそも論」を展開し、これからどう生き抜くべきかを語る。

第十九回 和装 III

2007年9月19日

(白田秀彰の「網言録」第十八回より続く)

さて、上記のような経緯で和装で生活するようになって、すぐに直面したのは、裾さばきと袖さばきの問題だった。以前に「立居振舞」で述べたように、私の歩く様子は、かなり行進風であり、大げさな手足の振りを特徴としている。それゆえ、すこし歩くとすぐに裾や前がはだけた。日常生活においても、手や顔を洗おうとすれば、袖を濡らし、食事中には袖が皿に触れた。

そこで、裾が はだけないように歩く工夫をすると... おお!見よ。それは、体を捻らず、足をあまり上げず、やや内股気味に、小さな歩幅で歩く「若だんな風歩行」になったではないか。以前に「立居振舞」で指摘された日本古来の操身法とは、「和服」というデザインが我々に自然に強制する振舞であったことがわかる。

食事の際には、皿をとるにも箸を用いるにも、袖を汚さぬよう繊細に袖を押さえる仕草が要求される。たとえ私がオッサンであったとしても、まるで和服美人のしとやかな仕草である。すなわち、それは「しとやかさ」を印象付けることを目的とした振舞ではなく、和服の袖の存在が我々に自然に強制する振舞であることがわかる。

さらに、日常生活での家事労働等を和服で行うためには、「襷掛け(たすきがけ)」で袖を短くまとめる必要があることもすぐにわかった。それでもって、水仕事などするなら「前掛け」も必要である。さあ、襷掛けして前掛けした私がハンチング帽など被れば(実際に夏に外出する際に、私は麻のハンチング帽を着用している)、どこからどう見ても、日本香堂 の「定吉さん」である[1]。すなわち、労働着としての和服は必然的に「襷掛け」と「前掛け」を強制するのであり、その結果として、「定吉ルック」は、そうした和服を着て労働をする人たちの統一された外観 uniform となるのだ。その事情は、昔の「お母さん」のイメージが「割烹着(かっぽうぎ)」を着ていることと同一である。

そうして一、二年年経つうちに、私は、和服で日常生活することに違和感を感じなくなり、とくに作法の訓練を受けていないが、自然に振舞えるようになった。そうしたある日、茶道や古武術に関する薄い入門書を立ち読みして、上記の「和服が強制する振舞」について、さらに認識を深めることになった。

古武術での体さばきの根本は、(1) 体の芯の部分にある筋肉を用いて身体の重心をまず移動させ、(2) 重心移動によって傾き移動しようとする身体を手足で補助的に支えることで制御する、というところにあるようだ(間違ってたらごめんなさい)。たしかにこれならば、無理に体を捻る必要はなくなるし、筋肉や骨格に対する負担も減るだろう。こうした身体動作の体系が発展した背景には、和服があったことは間違いない。

西洋の操身法においては、重心移動に加えて、全身の筋肉を複雑に連携させながら、全力を目的に集中していく方法がとられた。従って、身体の最大力を引き出すためには、おそらく西洋の操身法が勝っているのだろう。それは現代の各種スポーツにおいて、西洋の操身法に基づいて競技する選手が 大部分を占めていることからうかがわれる。

しかしながら、命をやり取りすることもある武術において、古武術に見られるような独特の操身法が採用されたのは、大きな動作を制約する、着物のはだけやすい衿や大きな袖や長い裾が理由となっているはずだ。それらは、動作中に風をはらみ、場合によっては枝や釘等の突起物にひっかかり動作主を拘束する。そのような危険があるのだから、着物を着て迅速に動作するためには、手足を可能な限り小さく使う方が有利だ。また、小さな動作は、機敏さにつながる。古武術での「力」は、専ら重心移動によって体重から生み出される「力」に依存しているようだ。それは、機敏に繰り出されることによって、西洋の操身法が筋肉から搾り出す「力」に匹敵しうるのだろう。

また、茶道の入門書で見た、座り方、立ち方、襖の開け閉め... は、肩から腰までを一つの直方体の枠に嵌めたように動かさない。それは、衿や裾がはだけることを避け、着崩れを防ぐためのものであることがわかる。従って、茶道や日本舞踊が身についている人は、一日中和装であっても問題なく着つづけることが自然にできるはずだ。逆にいえば、一日中和装で暮らして着崩れない人であれば、茶道や日本舞踊の操身法を学ぶときに、指示される動作がとても自然で合理的なものとして受け取れるだろうと考える。

ついでに言えば、茶会での一連の動作についての連続写真を見ると、「茶を点てる」という水やら火やら粉やらを使う複雑な動作を、和装のまま正座した状態で合理的に行うために洗練されたものであることがわかる。つまり、(おそらく)儀式ばった動作が主目的なのではなく、「茶室」や「和装」といったアーキテクチャにおいて、全体の動作を合理化した結果の美しさが目的となっているのだ、と私は理解している。それゆえ、茶道をきちんと身につけている人は、和服での日常の生活の全てにおいて、美しく合理的な立居振舞ができるように訓練されているといえるわけだ。逆に、洋服を着用しての茶道は、いささかの滑稽なのではないかと私は想像する。存在しない袖を意識した動作や、存在しない長い裾を前提とした立居の動作が見られるのではないか。

* * * * *
[1] 和服に西洋の帽子や靴を合わせる習慣は、明治期以降のヘンテコな和洋折衷の一つだ。民族服としての和服の正式な髪型は、髷を結う状態であるので、髷を壊してしまうような種類の「頭を覆う衣服」は発展しなかった。髷をつけていた我々の祖先たちは、夏の暑い時期に、頭部を保護するために「笠」や「手拭」を着用した。いくらコスプレに抵抗のない変態の私であっても、「笠」を着用するほどには気合が入っていないので、頭部の保護については、帽子を使用している。

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プロフィール

1968年生まれ。法政大学社会学部准教授。専門は情報法、知的財産権法。著書に『コピーライトの史的展開』、Hotwired Japan連載をまとめた『インターネットの法と慣習』がある。HPは、こちら

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