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関裕司の「サーチ・リテラシー」

検索の鉄人が、サーチの周辺事情とユニークなウェブビジネスを読み解く。

未来のウェブサービスに流されないぞ宣言

2007年10月25日

(これまでの 関裕司の「サーチ・リテラシー」はこちら

次のコラムはこれからのウェブサービスについてあることを気づかせてくれる。

CNET Japan : Read/WriteWeb - レコメンデーションエンジンがロングテールの敵になる?

レコメンデーションの気持ち悪さについて私もちょっと考えてみたい。

新聞やテレビといったマスメディアの登場で大衆に同じ情報を与え、ニーズやウォンツが均一化し、大量生産大量消費という実にコストパフォーマンスのよい経済によって現代社会は発展してきた。ただそこに異を唱える良識もまだ存在し、「マスメディア」という言葉が使われるとき、そこには大衆を操作する忌み嫌うべきものというニュアンスも含まれている。そんな時代に登場したインターネットを私たちが大歓迎した理由を思い出してみよう。インターネットは誰もが平等である。インターネットはすべてが並列だ。オンデマンドであらゆる情報が引き出せる。フェティッシュに光を、ロングテール万歳。ということであったと思う。ところがだ、時代の流れはこのロングテールを少しずつ細くしていく方向に向かっているような気がする。

検索とその周辺のウェブサービスの未来を語る場合、必ず登場する言葉がレコメンデーションとパーソナライズである。個人の属性や行動履歴によるパーソナライズと、集合知によるレコメンデーションは私たちに何をもたらしてくれるだろうか。自分の好みをわかってくれているという安心感、悩まずに導いてくれる信頼感、手間のかからない快適さ。精度という問題が技術的に解決されれば、このような方向に進むのは間違いない。近未来のウェブサービスでは、もはやキーワードを入力することすら不要になっているかもしれない。しかしこの状況は何かに似ていないだろうか。与えられたものだけを消費しているその姿は、テレビの前でリモコンを操作する私たちにそっくりではないだろうか。

大手ウェブサービス会社がマスメディア化しようとしていると言いたいわけではない。ウェブサービスの必然的な流れは、私たちが持っている有限の時間をいかに快適に消費させるかという目的の上に乗っかっている。時間の消費に必要なのは情報の多様性だ。ところがレコメンデーションは私たち個々に情報の多様性を提供しながらも、実はマクロ的な見方をすれば人々の平均化された体験を押し付けているにすぎない。人々の行動を平均値に寄せる力がそこには発生するだろう。見た目はアラカルトですよ、バイキングですよ、お好みのものをどうぞという体裁をとってはいるが、人々は楽な方向に進むものである。有限な時間を楽で快適なもので消費していく大衆。そこには言わば「定食主義社会」が待っているのではないかと思えるのである。ロングテールは次第に干からびていくのだ。

マスメディアに相対するものと見えたインターネットだが、意図も中心もないのにマスを先導するメディアに変化していくのだろうか。均一化された情報ではつまらないと思わないか。他人と常に違ったものに興味をもっていたいと思わないか。20年以上も前、まだ私が学生だった頃にお気に入りの書店があった。中規模な店でそれほど広くはなかったが、品揃えの異様さはピカイチであった。ベストセラーや雑誌の類はレジ前の一等地に並べられているものの、店の奥の棚は独特な雰囲気に満ち溢れていた。私はそこで中世の釣の本や古い中国の料理本、宗教、風俗、魔術、マリファナ、理不尽な童話、狂気と倒錯を手に入れた。決して人々が集まる中央ではなく、標準偏差を超えたあたりに面白いものはあったのである。たとえどんなに便利で快適なウェブサービスが登場しても、大切で有限な時間をすべて奪われないように警戒しよう。知恵と勇気をもって自由意志を行使しよう。フェティッシュに光を、ロングテール万歳と叫ぼうではないか。歳を重ねて人生折り返しを過ぎると、ついそんなことを思ってしまうのだ。

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プロフィール

1963年生まれ。「検索の鉄人コンテスト」で優勝。40歳を過ぎて「ヤフー ジャパン」に転職。サーファー部の部長としてヤフー検索の精度向上の業務を日米共同で行う。現在はフリーで活動中。

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