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小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」

数学エッセイストでもある経済学者が、経済学の視点から、環境問題、そして人の幸福 について考える。

飛行機は自動車より安全か?──リスク評価の考え方のいろいろ

2007年9月11日

(前回の 小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」は こちら

前回は、伊勢田哲治『疑似科学と科学の哲学』[*1]からの引用によって、科学史とその受け取り方を紹介した。今回は、同著者『哲学思考トレーニング』[*2]のほうから、軽いネタを紹介しておこう。

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もっとも、この本[*2]の第5章は、「みんなで考えあう技術-不確実性と合意のクリティカルシンキング」と題して、地球温暖化問題についての議論の整理をしてくれているので、このブログの愛読者諸氏は、是非とも目を通すことをお勧めしておく。

今回は、その温暖化のほうではなく、「飛行機が恐いのは不合理か」という興味深いことがこの本に書いてあったので、引用しておきたいと思う。

何を隠そうこのぼくは、正直いって、飛行機がめっちゃ恐い。未体験のときから恐くて、何度か乗った今も、ぜんぜん慣れることはできず、恐怖症はいまだ治らない。なぜ恐いのか、と問われても、自分でもイマイチよくわからない。もともと高所恐怖症なので、それが大きいとはいえるが、たぶんそれだけではない。恐い順でいうと、「飛行機」>「地面とつながっている密閉されていない高所」>「地面とつながっている密閉されている高所」のようになっているので、単に「高い」というだけでなく、「落ちる可能性」が絡んでいるように思う。つまり、飛行機は「地面とつながっていない」から「落ちるかもしれない」ので恐いに違いない。

昔、初めて飛行機に乗ることが避けられなくなり、せめてもの心の支えにと、『飛行機はなぜ飛ぶか』という本[*3]を買ってきて読んでみた。それによれば、飛行機に働く揚力(浮き上がる力) は、(空気の密度)×(速度の2乗)に比例する、と書いてあった。飛行機が飛ぶ上空の空気の密度は当然薄いから、速度が相当速くないと落ちてしまう、それで飛行機が速いのはアタリマエ、そうも書いてあった。これを読んで、ぼくの心の暗黒はかえって深まる結末になった。読まなきゃよかった、と後悔した。ぼくは初体験の飛行機の中で、意味もなく、「(空気の密度)×(速度の2乗)」という呪文を繰り返し唱えたのだった。

そんな個人的な話はともかく、その後、いくつかの本で、「飛行機は危険で恐いと思っている人が多いが、それは間違いである。実際は、飛行機は自動車より安全である」と書いてあるのを読んで、なんだそうか、そんなものなのか、と納得して気持ちを軽くしていた。つまり、ぼくの恐怖心は、飛行機事故の頻度の印象からではなく、単なる高所恐怖症の産物にすぎないのだな、と。

でも、そうともいえないよ、という余計なおせっかいが、『哲学思考トレーニング』に書いてあり、再び考えがくつがえされることになった。せっかくだから、ぼくと同病の恐がり諸氏にもおすそ分けしておきたいと思う。

この本によると、交通手段の安全性の測り方の標準的なものは、「延べ移動距離に対する死者の比率」なのだそうである。ここで「延べ移動距離」とは、10人の乗ったバスが5キロ移動したら、10人×5キロ=50人キロ、と計算する。この基準を自動車に当てはめると、2000年の国内の延べ移動距離は9512.5人キロ、事故死者(自動車に乗っていて事故死した人)は3954人だから[*4]、

自動車で移動する際の事故死亡率 3954÷9512.5=0.42 人/億キロ
となる。対して、飛行機のほうでは、
 飛行機で移動する際の事故死亡率 9÷797=0.01 人/億キロ
である。この結果を見ると、確かに自動車のほうが飛行機より40倍ほど危険に見える。

これが、世の中に流布していて、ぼくもすっかり信じ込んでいた、「飛行機の相対的安全性」、の正体である。しかし、伊勢田はこの安全神話を崩す基準をも見せてくれるのである。伊勢田は、上の基準が、「福岡から名古屋まで車を使うか、飛行機を使うか」と悩むときには、妥当なものだとする。しかし、「この週末に旅行に出かけたいのだが、車で近場に行くか、飛行機で遠出するか」といった場合には、この基準は適切でない、というのだ。この場合計算してみるべきは、「移動距離あたりの危険性」ではなく、「この週末に事故にあう危険性」である。それを評価するには、輸送人数あたりの死者数とするのが適切だろう、というわけなのだ。

2000年には、自動車で移動した人は延べ628.4億人、対する死者数は3953人であるから、自動車で移動する人の中で事故死者になってしまう比率(確率)を計算すれば、
 自動車で移動する際の事故死亡率=3953÷628.4=6.3 人/億回
飛行機についても同様の計算をすると、
 飛行機で移動する際の事故死亡率=9÷0.9=10 人/億回
となる。こう比較すると、「飛行機のほうが危険」という結論が出てくるのだ。

ちぇ、読まなきゃよかった、と思ったのはきっとぼくだけではないだろう。(すまんな、余計なものを紹介して)。

とにかく、何かのリスクを何かの基準で評価してる文献に出会ったら、その前提をよく検討するのが無難だろう。もしかすると、あなたの「恐がり」には、それなりの根拠があるかもしれないのだ。

* * * * *
[*1] 伊勢田哲治『疑似科学と科学の哲学』名古屋大学出版会2003
[*2] 伊勢田哲治『哲学思考トレーニング』ちくま新書2005
[*3] 近藤次郎『飛行機はなぜ飛ぶか−空気力学の眼より』講談社ブルーバックス1975
[*4] 伊勢田はここで、自動車にはねられて死ぬ人は勘定に入れていない。なぜなら、飛行機と比較したいわけだが、飛行機にはねられて死ぬ人、というのが想定できないからである。

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プロフィール

1958年生まれ。帝京大学経済学部経営学科准教授。数学エッセイスト。著書に『サイバー経済学』『確率的発想法』『文系のための数学教室』『エコロジストのための経済学』などがある。

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