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小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」

数学エッセイストでもある経済学者が、経済学の視点から、環境問題、そして人の幸福 について考える。

温暖化防止は、どんなタイプの意思決定でありうるか?

2007年8月28日

前回は、温暖化防止への取り組みが、「地球に優しい」というようなある種の「善意」からではなく、どちらかといえば、「恐くなったからちょっと引き返す」という利己心からであって欲しい、ということを書いた。その続きとして今回は、人間の利己的な、しかし、何らかの意味で合理性を備える意思決定の方法をいくつか提示し、その中から、温暖化防止の意思決定の収まるべき位置を模索してみたい。

まず、地球温暖化というのが、「不確実性を持った現象」であるという、しごく当たり前のことを再確認しておこう。しかも、これが「客観的な確率がわからない」タイプの不確実現象である、と理解しておくことがだいじである。「客観的な確率のわかる不確実現象」というのは、基本的には、(例えば死亡率のように)、反復経験的なデータを膨大に持っていて、安定的な出現頻度が知られているもののことをいう。しかし、温室効果ガスによる地球温暖化という現象に関して人類が持っている経験は、「膨大なデータ」には遠く及ばず、むしろ貧弱とさえ言え、単なる「憶測」の域を出ないからである。

もちろん、統計的な検証や実験室での実験結果による科学的な推論もたくさん発表されているようだ。しかし、温室効果ガスの人為的増加のような現象は、反復事象とはとてもいえず、(一度しか起きていない)「歴史的事象」であり、おまけに、地球という巨大な熱学系がとてつもなく複雑であるため(実際、台風の進路さえ正確には予測できない)、現在の科学レベルでは手に負えない類の問題というべきだろう。

このような「客観確率のわからない不確実現象」に対して、ぼくらはどういう判断基準を持って、どういう意思決定をすればいいのだろう。実は、それについて、統計学や意思決定理論の専門的研究の中で、いくつかの方法論が提唱されている。以下、それを紹介することにしよう。

そのとっかかりとして、皆さんに、以下のアンケートをやってもらうことにする。

(アンケート)

 事態1事態2事態3事態4
行動A2万円2万円1万円1万円
行動B3万円3万円0万円1万円
行動C2万円4万円0万円0万円
行動D1万円5万円0万円0万円

あなたは、1ヶ月後の事態として、次のような不確実性に直面しているとする。つまり、1ヵ月後に、事態は、表の事態1,2,3,4のいずれかに決まるのだが、現時点ではそのどれになるかは断定できない。(例えば、事態を「1ヵ月後の天気」だとするなら、事態1は晴れ、事態2は雨、…というようなことであり、「1ヵ月後の経済情勢」だとするなら、事態1は円安株高、事態2は円安株安、…というようなことである)。さて、あなたは、表の行動A,B,C,Dのうちの1つの行動を現時点で選ばねばならない。選んだ行動次第で、1ヵ月後にどんな事態が生起するかに応じて収入が変わるのである。例えば、行動Aをあなたが現在選んだと仮定すると、表のように、1ヵ月後の事態が事態1,2,3,4のときのあなたの利益は、それぞれ2万円,2万円,1万円,1万円という具合に決まるのである。ここで重要なのは、各事態の生起する客観確率が全くわからない、という点である。さて、あなたはどの行動を選択するだろうか[*1]。

というわけで、皆さん、次のパラグラフの文章を先に読まないようにし、上部の表に戻り、4つの行動をよく比較検討して、1つの行動を選んで欲しい。事前にいっておくと、この選択には「正解」というものはなく、ただあなたが「客観確率のわからない不確実性」に直面したときにしがちな「思考の癖」があぶりだされるだけなので、安心して答えればいい。

行動を1つ、選んでいただけただろうか。
 では、各行動について、それがどんな基準による意思決定であるかを明らかにしよう。そう、行動A,B,C,Dはそれぞれに、固有の合理的な理屈があるのである。

まずは、行動Bを選択する合理性。
 これは「具体的に確率がわからないから、仕方なく、各事態の確率をみな均等(4分の1)とみなして、期待値(確率的平均値)を計算し、それが最大になるような行動を選ぶ」場合に選ばれる行動で、最もポピュラーな基準といっていい。専門的には「(主観確率による)期待値最大化基準」と呼ばれる。ここで期待値とは、利益にそれが得られる確率を掛け算し、それをすべての可能性について合計した数値のことだ[*2]。この主観確率による期待値は(結局、利益を合計して4で割ればいい)、行動A,C,Dではすべて「4分の6」であり、行動Bだけが「4分の7」で他のより大きいのである。

次に、行動Aを選ぶ合理性。
 これは、「最悪の事態を想定して、そのときの利益がマシになるような行動を選ぶ」場合に選ばれる行動である。専門的に「マックスミン基準」と呼ばれる。実際、行動Aだけ最低でも1万円を得ることができるが、他の行動では0万円が起きうる。したがって、最悪の利益が一番大きいのはこの行動Aなのである。
 この基準は、悲観的な推測を基礎にしたものであり、とりわけ慎重性の重んじる基準といっていい。現在の意思決定理論の研究では、このマックスミン基準に関する研究が盛んである。(第11回に紹介した「株価が上がるときはじわじわ上がるのに、落ちるときには急落になる」という話でもこの基準が重要な役割を果たしている)。

行動Dの合理性は、行動Bとまるで正反対である。
 これは、「最も都合の良い事態を想定して、その利益が最大になる行動を選ぶ」場合の行動である。専門的には、「マックスマックス基準」と呼ばれ、最も楽観的な(脳天気な)基準なのである。実際、最も大きい利益にしか興味がないなら、行動Dの5万円だけに注目すればいいし、行動Dを選んだ人の大部分はそういう理由からであったろう。

行動Cの合理性を解説する前に、余談として、ぼくがいろいろな場所でこのアンケートを実施した際に、その集団固有の傾向が現れたことについてお話ししておこう。
 行動Aの「マックスミン基準」が普通より大きい率で観測されたのは、日本監査役協会という団体への講演でのときである。監査役というのは、企業の不正を防ぐためにおかれているポジションであるから、このような役職にある人たちにこの「慎重な基準」がしみついているのは頷けることであるし、またそうあるべきだと思う。
 それとは好対照に、ジャーナリスト向けの講演会では、なんと! 行動Dの「マックスマックス基準」がありえないほど高い率で出現した。ジャーナリストという職業の性向をかいま見たようで、これには思わず吹き出してしまった。

では最後に、行動Cを選ぶ、その合理性だ。
 これは非常に複雑にして、デリケートな基準であり、これを選んだ人は非常に稀なのではないかと推測している。実際、ぼくは講義や講演でこのアンケートを何度も実施しているが、いつもこの行動を選ぶ人は数えるほどであった。
 これは、「最も後悔の少なくなるような行動を選ぶ」場合に選ばれる行動である。専門的には、「機会損失最小化基準」という[*3]。他の基準に比べて、これには少し詳しい説明が必要だろう。 

例えば、あなたが仮に行動Aを選んだとしよう。この場合、事態2が起きるとあなたは「あーあ、行動Dを選べばよかった。そうすれば5万円手に入ったのにな。行動Aを選んだせいで2万円しか手に入らなかったじゃねえか。3万円も損してしまった」と後悔することになる。この場合の損失3万円は、他の行動(行動D)を選ばなかったために生じたものなので、「機会損失」と呼ばれる。あなたが選んだのが行動Bなら、最大の後悔はやはり事態2が起きたときで、機会損失は2万円。行動Dを選んだ場合は、最大の後悔は事態1が起きたときで、機会損失は2万円である。行動Cを選んだときだけ、どんな事態が生じても機会損失は1万円で済み、したがってこれが機会損失を最小にする行動というわけなのだ。

 さて、いよいよお待ちかね、温暖化防止の意思決定の基準の話に戻ろう。

 そう。温暖化防止の理屈として最も適している基準は、この「機会損失最小化基準」じゃないかと思うのだ。正直にいうと、ぼくはこのことを、うすうすとは感じてはいたのだけれど、はっきりと意識できていたわけではない。ぼくがこの基準を完全に自覚するようになったのは、思想家・浅田彰が、政治家・田中康夫との「続・憂国呆談」(これこれ)で次のように述べているのを読んだときだった。(ちなみにこれは、評論家・山形浩生への反論として述べられたものだ。)

「もちろん、異常気象が人間の活動によって引き起こされたという確証はないよ。だけど、自制して損したという後悔より、もう少し自制しときゃこんなことにならなかったのにという後悔のほうがきつい。だから、やっぱり良識として自制しとくべきなんだ」

この浅田の発言は、「自制」「後悔」「良識」といった一見「科学的ではない」概念で構成されているように見える。(もちろん、浅田は科学者ではないから何の問題もない)。けれども、以上のように「機会損失最小化基準」という考え方を、「科学的基準」の一種だと認定できるなら、この浅田の発言は、決して情緒的なものではなく、科学的な言説だといっていいのである。

見てきたように、「機会損失最小化基準」は非常にわかりにくく複雑でデリケートな基準だ。けれども、それだからこそ、地球温暖化のような「最も科学知識の通用しにくい問題」に対して、有効性を発揮する基準といえるのではないか、そう思うのだ[*4]。

  * * * * *

[*1]酒井泰弘『不確実性の経済学』有斐閣1982
[*2] ただしこの場合、確率は均等になっているが、これはそう考えるしかないからそうしただけのもので、客観的なものではなく、「主観確率」と呼ばれる。主観確率については、拙著『使える!確率的思考』ちくま新書を参照のこと。
[*3]提唱者の名をとって「サベージ基準」ともいう。サベージは、ベイズ推定の復興を成し遂げた天才的な統計学者である。
[*4] 温暖化防止のロジックは、「マックスミン基準」からも導出することができるが、ぼくは「機会損失最小化基準」のほうがより適しているように思う。

(これまでの 小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」はこちら

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プロフィール

1958年生まれ。帝京大学経済学部経営学科准教授。数学エッセイスト。著書に『サイバー経済学』『確率的発想法』『文系のための数学教室』『エコロジストのための経済学』などがある。

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