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小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」

数学エッセイストでもある経済学者が、経済学の視点から、環境問題、そして人の幸福 について考える。

第5回 ライアーゲームっていうのは、要するに協力ゲームなのだ

2007年6月19日

この連載では、ここ2回、ケインズ理論について思いっきり書いた。いわば、ストライクゾーンめがけて全力で直球を投げたようなもの。ぼく自身はとても気持ち良いのだが、読者の皆さんはそろそろ読み疲れしてるんじゃないか、という危惧がある。だから、ここらで1〜2球、緩いボール球を投げておいたほうが無難じゃないかなと考えた。(もっとケインズ読みたいぜ、っていう酔狂な人もいるだろうけど、そういう人は近いうちまたケインズの話で三振を取りに行くので待ってて欲しい)。

そんなわけで、今回はうってかわって、テレビドラマの話。

今期のドラマの中で出色だったのは、「ライアーゲーム」である。土曜の深夜枠でありながら、高視聴率を取り、最終回は3時間スペシャルが組まれているそうだ。ぼくは当初、(「デスノート」でミサミサを演った)戸田恵梨香ちゃんが観たいだけの動機で観はじめたのだが、すぐにドラマのストーリーそのものに引き込まれてしまった。それは、この物語が、まるで経済学における「ゲーム理論」を体現していたからだ。

このドラマは、甲斐谷忍の同名のマンガをドラマ化したものである。主人公の男女は、ライアーゲームというゲームに引きずり込まれる。ライアーゲームとは当局から貸付けられた億単位の資金を、これまた当局に与えられたルールの中で参加者が奪い合うゲームなのである。勝者は、初期付与分を当局に返済した残りを賞金として得ることができ、敗者は返済できなかった分を当局への借金として背負うことになるのだ。

なんといっても、主人公であり天才詐欺師でもある秋山の思いつく作戦と虚々実々の駆け引きが破格に面白い。それもそのはず。原作者の甲斐谷は、ギャンブルマンガの天才・福本伸行(『アカギ』や『カイジ』などが有名)の信奉者で、福本のような作品を目指して作った物語だから面白くて当然なのである。(たぶん、『カイジ』を意識しているのだろう)。しかし、ぼくにとって「ライアーゲーム」は別の観点から興味深かった。それは他でもない、ゲーム理論の中の「協力ゲーム」にかなり似通った構造をしていたからだ。

「協力ゲーム」というのは、集団の中の部分的なグループそれぞれに共同の利益があるような環境を分析する理論だ。全員で協力すると最も大きな利益が得られるが、その利益を全員にどう配分すれば、離脱が起きずに「集団全体での協力」が達成できるか、そういうことを分析するものである。「ライアーゲーム」に出てくるゲームは、みんなおおよそこういう構造をしているのだ。

例えば、第2ゲーム「少数決」は、22人のプレーヤーが毎回「イエス」か「ノー」に投票する。その結果、少数だったプレーヤーが勝ち残り、多数派に入ったプレーヤーは1億円を没収され敗者となる。これを最後の1人か2人になるまで繰り返すゲームであった。ネタばれになるので詳しくは書かないが(ドラマないしマンガで確認して欲しい)、これには必勝法が存在し、それは8人でチームを組んで協力体勢を作ることが不可欠となる。そして、そのような部分提携が成立するかどうかは、最後の勝者がどういう利益配分を協力者たちに約束するかに依存することになるのである。これはまさに協力ゲームのフォーマットだ。

また、このゲームの次に行われた「リストラゲーム」とは、参加者が自分以外の誰かに投票し、最下位になったメンバーが失格になる、というルールのゲームである。このゲームでも結局、どう部分提携を作って結託し投票行動をするか、そして、誰の票がゲームを制するために大きな影響力を持つか、それがポイントとなる。このような「結託した投票行動」や「特定の票が持つ交渉力」の分析は、協力ゲームの得意とするところである。

このように観てくると、原作者がどこかでゲーム理論を勉強したのでは、とさえ思えてきてしまって、とっても愉快である。

ゲーム理論は、ノイマンとモルゲンシュテルンの共著『ゲームの理論と経済行動』(1944年)で旗揚げがなされ、その後急速に研究が進んだ分野だ。ゲーム理論というと、非協力ゲームにおける「囚人のジレンマ」とか「ナッシュ均衡」とかが有名だが、実はノイマン&モルゲンシュテルンが研究をスタートした時点では、協力ゲームのほうに重点があったといっても過言ではない。非協力ゲームというのは、プレーヤーがコミュニケーションを全くせずにお互いに相手の行動を推理し合い、戦略を決めるような形式のゲームである。他方、協力ゲームというのは、先ほども説明したように、プレーヤーが十分にコミュニケーションをし、部分的な提携や談合を形成することができ、共同行動を取るゲームのことだ。

ぼくは、非協力ゲームも面白いが、どちらかといえば協力ゲームのほうが、社会での人間の営みというものを鋭く分析しているように感じている。社会はかなりな程度、部分的な協力関係の組みあげによって成立しているし、社会で協力が達成されるためにとても大事なのが「利益分配の方法」に違いないからだ。

例えば、けっこうな金になるが一人では無理な仕事を持ちかけられたとき、仲間に協力を要請するだろう。そのとき、協力を達成するには、分け前を適切に決めることが肝心だ。また、タクシーの相乗りをするとき、料金をどう負担しあうかで、相乗りが成立したりしなかったりするだろう。はたまた無謀に拡大適用することを許してもらえるなら、いじめの問題から今話題の年金負担の問題までも協力ゲームでカヴァーできるといっていい。

そんなこんなで、協力ゲームのツボを簡単な例で見ておこう。

今、A、B、Cの3人がいるとする。A一人で仕事をすると1万円を稼げる。同様にして、B、Cはそれぞれ一人で3万円、6万円稼ぐことができるとする。AとBが協力すれば5万円稼げて、これは両者が一人ずつで稼ぐ合計よりも大きい。BとCの協力では10万円、AとCの協力では8万円稼げる。つまり、一人より二人で協力した方が効率的である。そして、A、B、C全員が協力すれば12万円を稼げるとしよう。このとき、どの体制で仕事をしても、各人の大変さは同じであるものとしておく。さて、3人の協力が達成できるのはその12万円をどう分配する約束が成されたときだろうか。

例えば、「平等に4万円ずつ」というとても美しい提案では、残念ながら協力は達成されない。なぜなら、Cは一人で6万円稼げるのにわざわざそれより少ない金額4万円で仕事をする義理はないからからである。では、Cに6万円を渡して、残る6万円をAとBが3万円ずつ等分する取り決めはどうだろうか。これなら、一人で仕事するより損をする人は誰もいないが、やはり協力を実現することはできないだろう。なぜなら、この場合、CはBに二人だけで仕事をしようと持ちかけるに決まっている。それは、二人で得られる稼ぎは10万円であり、提案されたBとCの報酬の和9万円より多いからだ。例えば、Bが3万5千円を取り、Cが6万5千円を取れば、両者とも元の提案より得になるのである。では最終的に協力が達成される分配はどういうものだろう。それは例えば、A、B、Cがそれぞれ1万6千円、3万6千円、6万8千円を受け取るような約束である。これなら、すべての人が一人で仕事をするより受け取りが多いし、どの二人の報酬の合計においても二人だけで仕事をするより良い。したがって裏切りや離脱を封じ込めることができ、全員が納得して一致協力できる、というわけだ。(もちろん、他にも多数ある) 。このような分配方法は、専門のことばで「コア」と呼ばれ、協力ゲームにおける最も代表的な「解」と考えられるものである。

このような「協力ゲーム」や「コア」の観点から、「ライアーゲーム」における「提携」のことを見直してみるのも一興であろう。

どうでもいいことだが、甲斐谷忍の作品には『ワンナウツ』という傑作野球マンガがあって、こちらもお勧めだ。作者はこれを『野球版アカギ』と称し、野球マンガの常識を3つの点で破っていると主張している。第一は、「豪速球を投げない」。第二は、「根性と努力で勝てるとは限らない」。第三は、「主人公が悪党」。その3点である。実際、そのことばに偽りのない内容であり、全く感心してしまう。しかも、なんということか、試合を戦う敵同士の選手の間に、協力ゲーム的な構造を作り出したりしているのがめっちゃ笑えるのだ。どうやったのかは読んでのお楽しみだが、こういうことが可能なのは、野球というスポーツがとんでもなく複雑なルールを持ったスポーツだからに他ならない。たぶん、宇宙人がやってきて野球を観戦したら、しばらくの間は何をしているゲームなのか理解できないに違いない。(いや、人間界にも理解できてない人がたくさん存在しているだろうと思う) 。

(参考文献)  協力ゲームについては、拙著『算数の発想』NHKブックスなんかを参考にされたし。
  

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プロフィール

1958年生まれ。帝京大学経済学部経営学科准教授。数学エッセイスト。著書に『サイバー経済学』『確率的発想法』『文系のための数学教室』『エコロジストのための経済学』などがある。

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