このサイトは、2011年6月まで http://wiredvision.jp/ で公開されていたWIRED VISIONのコンテンツをアーカイブとして公開しているサイトです。

木暮祐一の「ケータイ開国論II」

通信事業者のための情報サイト「WirelessWire News」から話題をピックアップし、モバイルサービス業界を展望する。

デジタル教科書に期待を込める韓国国民の教育観

2010年10月12日

(これまでの 木暮祐一の「ケータイ開国論II」はこちら

 サムスン電子製のタブレット型端末「Galaxy Tab」が日本でも正式に発表された。実際に筆者も実機を触ってきたが、iPadとスマートフォンの間を埋める絶妙なサイズだ。iPadよりも小さいので片手で電子書籍も楽しめるだろうし、このサイズなら小学生がデジタル教科書として活用するにも最適だろう。

 さて、3回にわたって書かせていただいた韓国事情だが、これまで説明してきたように韓国は国を挙げてICTを利用していくためのインフラを整備し、そして実践的に活用を推進している。ブロードバンドインフラが整い、また電子政府などインターネット上のサービスが充実している。当然、インターネットの利活用が生活の中で当たり前になっている国家だからこそ、デジタル教科書の推進もすんなりと行くのだろう。

 一方で、わが国ではPCの利活用がまだ韓国には及んでいないように感じる。とくに教育現場のICT利活用は随分と遅れを取っている。機会があるごとに、出張先の各所で大学や高校などの教室を覗かせていただくのだが、いまだに黒板と机が並んでいるだけの教室というのも見かける。これでは途上国の教育環境と変わらないではないか。

 韓国の視察ネタは今回を最終回としたいが、締めくくりとして韓国の人たちの教育観について触れておきたい。

 筆者は韓国人の友人・知人も多く、ソウルに行けば連日友人たちの熱烈な歓待を受け、深夜まで焼酎を飲み交わしている。今回のソウル視察は実質2日半程度しか時間が無かったが、視察以外の時間は友人たちと親密な情報交換に時間を費やした。

 私の友人たちは、世代的には同世代の40歳代から50歳代で、ベンチャー企業等を経営する社長などが中心だ。韓国では一定の地位を築いている人たちである。彼らは韓国語のほか、人によって英語や日本語も操れる。そんな仲間たちと、片言の日本語や英語、韓国語で酔いながら楽しいコミュニケーションを交わしてきた。

 その酒飲み話の中でとても印象深かったのが、彼らの若者世代に対する評価だ。少なくとも私の友人たちも韓国でそれなりの教育を受け、世間でいう「出世コース」を辿ってきた人たちなのだろうが、そうした彼らが「今の高校生は私たちよりも優秀だ」と若者たちを評価しているのである。さらに、「今の小学生たちはもっと優れている。英語教育も充実してきたので、今の小学生たちが大人になる頃には、みんな当たり前に英語を話せるようになる」とも言う。

 彼らは、若い世代に対して大いに期待を込めている。こうした世代がいずれ韓国を背負い、国を発展させていくことに期待しているのである。そして、そうした若者世代の教育に関し、大人として出来る限りのことをしてあげようというスタンスなのである。もともと韓国は教育熱心な国で知られているが、だからこそ、次の世代の教育に関し、出来る限り良い教育環境や教育手段を提供してあげようと考えていくのは当然なのだろう。

 デジタル教科書の推進に関しても、現代の若者世代が社会で活躍する頃にはさらにICTの利活用が進み、デジタル機器やインターネット通信網を「手段」として使いこなせなければ役立つ人間とならない、だからこそ早い時期からこうしたICTを使いこなす術を身につけるべきだと考えているのだろう。

 韓国の大人たちは、自国の将来を背負う若者世代に「誇り」を持っているのである。こうした考え方に私は深い感銘を受けた。

 一方の日本ではどうだろうか。どれだけの大人が、若者世代に対して「誇り」を持てているだろうか。ともすれば「最近の若者たちは...」みたいな発言ばかり聞こえてこないだろうか。さらには、教育現場のICT化が遅れているばかりでなく、地域によっては子どもたちから携帯電話を取り上げようという動きまで出てきている。日本は何とも後ろ向きな気がするのだがいかがなものだろうか?

 若者世代が将来社会で活躍する頃の社会環境を考え、そうした社会環境で活躍できる人材を育成するために、現時点で考えられる最善な教育環境を整えていくことこそ、大人の務めではなかろうか。デジタル教科書議論も、もっと子どもたちの未来を考え、色々な教育手法を提供していく中で、その一手段として役立てていくことは重要なことであると、韓国の事情を見てますます実感した。

 ところがどういうわけか、わが国では子どもたちの将来よりも、費用の負担や教員の負担などばかりが議論の中心になってしまう。子どもたちの視点で、とくに子どもたちが大人になったときに「こんな素晴らしい教育環境を提供してくれた先人に感謝したい」と感じてもらえるプログラムを整えてあげたいものだ。

 ところで、日本に帰国後にさっそく見かけた驚くべき風景がこの写真だ。ケータイの普及により公衆電話の需要が減り、順次撤去されていることは周知のこととはいえ...。ここでは、公衆電話を撤去した空スペースに、なんと有料ケータイ充電BOXが置かれていた。さらにこのスペースの所有者がNTT東日本だと知ってもっと笑ってしまった。

 公衆電話需要が減ったため、敵ともいえるケータイの充電で儲けようというNTT東日本の魂胆にもウケたが、それだけではない。おそらく韓国なら、こういったスペースがあれば公衆PCが設置されるはずである。電源や通信回線があるのだから、国民の利便性を考えれば、誰でもが利用可能なPCを設置し、インターネットを提供するのが韓国流だ。それが、日本だと何でこうなってしまうのか。もっと国民がインターネットを活用できるように、そして国民のICTリテラシーを高められるよう工夫していくべきだと思うし、それが通信事業者の使命だと思うのだが...。

フィードを登録する

前の記事

次の記事

木暮祐一の「ケータイ開国論II」

プロフィール

1967年東京都生まれ。携帯電話研究家、武蔵野学院大学国際コミュニケーション学部准教授。多数の携帯電話情報メディアの立ち上げや執筆に関わってきた。ケータイコレクターとしても名高く保有台数は1000台以上。近著に『図解入門業界研究 最新携帯電話業界の動向とカラクリがよ〜くわかる本』(秀和システム)など。HPはこちら

過去の記事

月間アーカイブ