「温暖化に異議あり!」異論の受け止め方を考える
2008年3月21日
(これまでの 石井孝明の「温暖化とケイザイをめぐって」はこちら)
■懐疑論の不毛な迷路
温暖化問題で08年は世論の関心が一気に高まりました。ヨーロッパのメディアに比べて、この問題について関心の乏しかった日本のメディアでも大量の情報があふれるようになっています。私たちが選択する幅が増えたわけで、これは好ましい状況です。しかし、「温暖化は起こっていない」、「温暖化の原因は二酸化炭素(CO2)ではない」など、首をかしげる「温暖化懐疑論」が今でもあります。
こうした懐疑論の本を数冊読んでみました。不毛な論議を避けるために「どの本がおかしい」という言及はここでしません。しかし私が読んだ議論では、温暖化について未解明の一部を誇張して、強引に結論を導く議論が多かったという印象を受けました。
もちろん、多様な観点から物事を学ぶことは重要です。しかし、「異端」に触れることは、「正統」を押さえた上でなければ、誤ったことを信じ、考えが混乱することになるでしょう。考えの本流が形作られ、それが正しい可能性が高く、さらにそれに基づいて国際社会が動いているという現実があります。
大きな温暖化をめぐる本流とは、「温暖化が進行している。その原因は温室効果ガスの排出、中でも化石燃料を使うことで生じるCO2が問題である可能性が高い」ということです。そしてその科学的な知見を受けて、「CO2を減らさなければならない」という考えに、世界の大半は動き始めています。
そうした状況の下で、「懐疑論」の迷路に迷い込むことは、あまり意味があることとは思えません。「良書を読むには悪書を読まぬことを条件とする。人生は短く、時間と力とは限られているから」。哲学者のショーペンハウエルの言葉です(注1)。
■「自由の侵害をどうする」
しかし、聞くべき反対論は当然あります。そうした議論を紹介してみましょう。
チェコのクラウツ大統領は、温暖化問題についての発言で、注目を集めています。ヨーロッパ各国の指導者が「温暖化の危機」を訴える中で、環境保護による人間の自由の侵害を懸念しているのです。アメリカのゴア前副大統領が、温暖化問題の啓蒙活動で07年のノーベル平和賞を受賞しました。それに対して、クラウツ大統領は「平和との活動が明瞭ではない」と不快感を示しました。
中でも07年に英紙フィナンシャル・タイムズに掲載されたクラウツ大統領の寄稿はヨーロッパ中で反響を呼びました(注2)。「人類に課せられた今課せられている大きな挑戦は現実と幻想を、そして真実と悪しき宣伝を区別することだ」というアメリカの作家マイケル・クライトンが温暖化問題について語った言葉を引用しながら、「自由、民主主義、市場経済、そして人類の繁栄が、共産主義ではなく野心に駆られた環境保護主義の下で最大の脅威にさらされる」と指摘します。
そして、社会の富が増大すれば、環境も改善され、温暖化の問題も解決していくと強調します。「全世界的な制限を講じるべきではなく、いかなる人も望むままに生きるようにするべきだ」「声なき多数派でなく、声を上げる少数派によって作られかねない『科学的コンセンサス』という言葉に異議を唱えよう」と主張します。
クラウツ大統領が特に批判することは、温暖化対策を名目に公権力が個人に対して行う介入です。「破滅的な予測におびえたり、それを盾にして人間生活への非理性的な干渉を行ったりすべきではない」と、寄稿を結んでいます。
クラウツ大統領は元経済学者で、18世紀の経済学者アダム・スミスなど、「経済活動の自由によって社会の調和が生まれる」との主張を唱えた古典派経済学者の研究をしていました。社会主義体制の続いたチェコではかなりユニークな経歴を歩んでいます。そして、1968年のチェコスロバキア(当時)の社会主義政権下での自由化運動「プラハの春」でも、改革派経済学者として活動しました。国権の強大な社会主義の下で自由が束縛される経験をした彼の指摘は、非常に示唆する点を含みます。
■「効果とコストをどのように考えるのか」
政策についての、興味深い「異論」を紹介しましょう。
環境問題についてコストと効果を見極めようと主張する『環境危機をあおってはいけない〜地球環境の本当の実態』(文芸春秋)という世界的なベストセラーを書いた、デンマークの政治学者ビョルン・ロンボルグ氏は「本当に問題とするべきなのは、お金を賢明に使うこと」と、温暖化対策に大量の資金を投じることを批判します。アル・ゴア氏の地球温暖化と京都議定書の批准を訴えた映画と書籍『不都合な真実』を批判する中で、次のような主張を展開します(注3)。
京都議定書を、真面目に実行すると1500億ドルものコストがかかると試算されています。それでも温暖化を6年遅らせるにすぎません。一方で、国連の見積もりで年間750億ドルと京都議定書を実行する半分の費用で、飲料水と衛生状態の改善、そして教育を地球の上のすべての国にもたらせます。「貧困のサイクルから抜け出せるようになれば、地球温暖化にも耐えられる」とロンボルグ氏は強調します。
ロンボルグ氏は温暖化が起きないと言っていないし、その被害が大きいことも否定していないのですが、その対応策のコストと効果を冷静に見極めようと、述べているわけです。彼は同主旨の主張をさまざまなメディアで提供しています。
■「価値が一つになること」への危険
私の個人的な意見を述べれば、二人の主張はテーマの設定が広すぎます。この連載で示したように、温暖化問題への対応は、「対策を行う」と「何もしない」という、どちらかを選択しなければならないという単純なものではありません。削減対策はエネルギー消費の場面ごとに、さまざまな形で行えます。自由の問題、そして費用と効果の問題はケースごとに判断を下すべき問題ですが、クラウツ大統領とロンボルグ氏の二人の異論は、まず入口で「するか、しないか」という議論を始めています。
クラウツ大統領のように「自由の侵害」を警戒すれば、温暖化の進行によって奪われる自由をどうするのかという問題が生まれます。
ロンボルグ氏の主張も危険をはらみます。温暖化で現在起こりつつある、そして将来起こるであろう被害を、私たちは完全に把握することはできません。今のコストのみに注目して「できない」ことを強調したら、その温暖化の進行を放置する危険な状況を起こしかねないのです。
しかし、二人の意見から、私たちは多くの気づきを得ることができます。温暖化を止める活動は、利害関係と必ず衝突します。正しいと思うことの集積が、実は副作用として多くの問題を生んでしまうきっかけになるかもしれません。「地球を救え」という一つの価値観に流れることは、個人の自由とぶつかることになるでしょう。また、温暖化への危機感から、性急に効果を検証しない対策を行うことで、貴重な資源を無駄にしかねません。
「どんなに悪い事柄とされていても、それが始められたそもそもの動機は善意によったものであった」。ローマの英雄、ユリウス・カエサルはこのような言葉を残しています。「CO2を出してはいけない」という価値観に世界がまとまりつつあります。そこには「危うさ」がはらむことも、異なる意見を聞くことで、常に念頭に置かねばなりません。
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(注1)温暖化懐疑論については、気象学界から詳細な疑問が示されています。興味のある方は東北大学の明日香壽川氏を中心とするグループの意見を参照ください。(→こちら)
(注2)英経済紙フィナンシャル・タイムズ 07年6月21日記事
'Freedom, not climate, is at risk'(気候ではなく自由に危機が迫る)
(注3)記事配信の団体「プロジェクトシンジケート」のホームページ。
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石井孝明の「温暖化とケイザイをめぐって」
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