一筋の光明:食料自給の可能性
2009年8月23日
僕が食料問題に関心を持ったのは、環境問題がきっかけだった。環境問題と食料問題は相互に影響し合っているのだが、それ以前に、人口増加や生活水準の上昇が自然の限界に近づきつつあるのではないか、という点で本質的に同質の問題だからだ。それだけでなく、地球の環境容量に限界があると仮定すると、人口やエネルギー/資源消費量が増えて行くと、広い意味での資源の利用で競合が起きる。つまり、環境問題が食料問題を加速させる可能性があるのだ。
簡単に言うと、人口が増えて食料が不足しても、環境問題があるので食料生産に回す資源、特にエネルギーを増やすことができなくなるかもしれないということだ。戦後、単位面積当りの収量は増加しているし、途上国には肥料や農業機械が十分行き渡っているわけでもない。食料増産の可能性はあるのだが、それもエネルギー次第だ。現在の収量は、農業機械や化学肥料、農薬によって支えられている。エネルギーが無ければ現在の収量も維持できない。
しかし食料不足を回避するためにエネルギー消費を増やしても、温暖化ガスによる気候変動で農業が打撃を受ければ意味が無い。温暖化ガスの排出量を削減しなければならないときに、特に日本では、農業に優先的に排出量を割り当てるのは難しいだろう。これが僕が、日本の食料生産能力について悲観論者となったストーリーだった。
だが最近、太陽経済を提唱する山崎養世さんの話を聞いて、少し考え方が変わった。太陽経済というのは、要するに自然エネルギーとあまり変わらない概念で、技術的には取り立てて新しい点は無い。新しい点があるとすると、太陽エネルギーを中心に経済が回るモデルが成立すると提唱している点だろう。
自然エネルギーの問題点は主に技術的/経済的なものだった。エネルギー量としては膨大であり、本質的な問題は無い。逆に言うと、皆が自然エネルギーで行けそうだ、と考え始めれば、技術的/経済的な問題が解決して行く速度が速まる。これまでは、エネルギーの問題が解決してもトラクターや農業機械は自然エネルギーでは動かないから、農業はやって行けなくなるのでは、と考えていた。
ミクロで考えれば、菜種でも作ってBDFでトラクターを動かしても良いのだが、昨年の農産物価格急騰で明白になったように、農業で燃料を作ればその分食料が減ってしまうのだ。農業自体も太陽エネルギーを直接的に利用しているので、当然競合する。だからエネルギーは農地に影響が無い形で生み出したい。それが実現できれば、エネルギー問題は解決の可能性がある。
既にちょっとしたガーデニング用の機械は充電式も出て来ている。大容量のリチウムイオン電池や燃料電池が安くなれば、電気トラクターも出来るだろう。これらは15年前には考えられなかったことだが、技術的には15年前でも可能性があった。不可能に見えたのは、政治や経済の問題だったのだ。ドイツで急速に太陽電池が普及したのも制度的な後押しがあったからで、政治や経済がその方向に動くことの重要性がよくわかる。
太陽経済の中身については、論評できるほど知識が無いし、技術的にも解決しなければならない課題が残っている。しかし石油を輸入に頼っている日本に取っては、自然エネルギーはエネルギー自給への道でもあるので、政治も後押ししてもらいたい。政治や経済がそちらに流れて行けば、エネルギー問題も改善に向かい、食料生産力の維持だけでなく、自給への道が見えてくるかもしれない。
フィードを登録する |
---|
合原亮一の「電脳自然生活」
過去の記事
- 別紙 提案の背景と補足2011年5月31日
- 4.具体的な工程2011年5月31日
- 3.本提案のメリットとデメリット2011年5月31日
- 2.具体的な提案2011年5月31日
- 1.提案の骨子2011年5月31日