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合原亮一の「電脳自然生活」

環境問題から生き方まで、地球ととことん付き合う方法論を模索する。

お布団農法の危機(3)

2009年7月22日

1カ月遅れの田植のやり直しの結末

田圃は広いので、稲がある程度育って、遠くからでも雑草と見分けがつくようにならないと、どの程度の被害か分からない。それに他の田んぼの田植も忙しかったこともあり、しばらくは放置していた。最終的に被害が大きいことが分かったところで、田植のし直しを決意することになる。6月末のことだった。

だが問題は、田んぼ全体がお布団で覆われていることだ。幸い被害を受けた田んぼは動物に踏まれてお布団が破れたり土と密着していて、比較的分解が進んでいる場所も多い。使った田植機も、古い手押しの2条田植機で小回りは利くが、実際に田植機で植えられるかはやってみるまでわからなかった。

というわけで、日曜日に早起きして、まず山の中の田んぼで田植をやり直した。1カ月遅れなので、そもそも田植えして米ができる限界だ。幸い苗は残っていたが、肥料切れで葉の色が薄くなってしまっている。お布団の上で田植機が使えるかが最大の心配だったが、猪がそこら中踏んづけてくれたおかげで、ほとんど分解されていて、何の問題も無く田植機で植え付けられた。

ただ、お布団の分解が早かったおかげで、雑草がかなり芽を出している。草の中に植えても稲は負けてしまうので、雑草を抜きながらの田植えとなり、ほとんどの時間は草取りにかかってしまった。ほぼ全滅状態なので、ほとんど全部普通の田植のやり直しで、普通なら1-2時間で終わるはずの小さな田んぼの田植に、午前中一杯かかってしまった。

午後は貯水池の横の田んぼの田植をした。苗がそれほどないので1本植えとした。こちらの田んぼは広く、山の田んぼほどではないが部分的に草が多くやはり除草しながらなので1日では終わらず、空いた時間を見つけて何日かかかって植え終わった。

植え終わったと言っても、田植機で植えられる所だけ。お布団があまり分解されていないところでは、田植機で植え付けられないこともあったが、幸いごく一部だった。お布団から出た苗が部分的に残っているため、苗の間に無理に田植機を入れようとすると、せっかく大きくなった苗を倒してしまう。こちらは手で補植するしかないし、植え直した場所以外は除草もできていないので除草もしなければんらない。残念ながらこちらは今日に至るまで手つかずのままだ。

こんなに遅く田植をしたのは初めてだが、いくつか貴重な経験ができた。1つは田植機の性能の問題で、大きくなりすぎている苗を爪がうまく掴めず、植付け不良が頻発した。植付け不良の原因は、丈の高い苗が抵抗になる場合と、掴み損なった根のマットが残って邪魔する場合があるようだが、いずれも苗が正常に送られなくなりうまく植付けられない。

もう一つは老化苗が植え付けられた場合の反応を実際に見ることができたこと。苗のままで1カ月以上放置していたため、苗箱の中の肥料を使い切ってしまい、田植前にかなり色が落ちていた。田植後発根する必要があるわけだが、体内の貯蔵養分がほとんどない状態。一部の苗は田植後すぐに真っ白に見えるくらい色が落ちてしまった。下葉から順番に分解して、体内の栄養を根に送ったためだ。

結果的に、場所によっては3割から5割の苗が枯れてしまった。残念ながら力尽きてしまったわけだ。事前に苗代でまず施肥し、色が戻ってから植えるべきだったのかもしれないが、その場合はさらに田植が遅れ、また苗もさらに成長するので、植付け不良率も上がっただろう。田んぼの中でも常に水が抜けない還元状態の強いところほど枯れる率が高かったのも興味深い。苗によるのかもしれないが、良く言われているように、強い還元状態は根を成長させる上でストレスが大きいためではないかと思われる。

今年の田植は、結果的にわが家の田植機の性能の限界に挑戦することになった。大きく育った苗をセットできるようにするために、苗ガイドなどは全部外さねばならなかったのも植え付け不良の一因になっていると思われる。また田植前には水を入れたが、その前はお布団農法で水を落として乾燥させる時期だった。場所によっては冠水、場所によってはひび割れが入るなど、乾燥状態が大きく違ったため、色々な固さの土に植え付けることになった。固めの土はやはり植え付けにくく、補植率が高くなってしまった。

それでも田植機は、こうした想定外の条件でもそれなりに植えてくれるわけで、日本の田植機の優秀さを強く感じる経験だった。ご参考までに、苗は50グラム蒔き。6月初めの田植時に生育の悪かった苗を、さらに1カ月プール育苗のプールに放置したものを使った。なお、生育が悪かったと言っても成苗植えを目指して育てていたので、田植機から見れば1カ月前の段階で既に大き過ぎの苗だった。使用した田植機はイセキのさなえ20という、手押し2条植えのロートルである。

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プロフィール

川崎重工業人事部・川重米国本社CFOを経てガリレオに参加。ガリレオの業務の傍ら、環境問題、食糧問題に関心を持ち、「電脳自然生活」を目指して有機農業で米、野菜を作る。

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