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合原亮一の「電脳自然生活」

環境問題から生き方まで、地球ととことん付き合う方法論を模索する。

お布団農法の危機(2)

2009年7月19日

育つことができたのは1/150

今年の僕のお布団農法(水稲直播有機栽培)で作った田んぼの発芽率は、異常に低かった。正確には発芽率ではないかもしれないが、ともかく田植の苗程度の大きさにまで育った稲は、100坪ほどの小さな田んぼ1枚は7割程度。これが最高である。1反以上ある田んぼではせいぜい2割。そしてもう1枚の100坪ほどの田んぼは5%にも満たなかった。

一体何が起きたのか。全て動物にやられたのだ。一番ひどかった田んぼは山の中にある。自然に囲まれた素晴らしい環境なのだが、それは猪や鹿にとっても同じ。多分猪だと思うのだが、田んぼのお布団の上を走り回ってくれたらしく、ずたずたに破られてしまった。それでも芽が出ていたように思うのだが、その後も猪が来たのか、水管理が悪く、水没して苗が溺れ死んでしまったのか、実質ほとんど苗が見当たらない状態になってしまった。

残りの2枚は、大きい方は村の近くの貯水池の隣。小さい方はそこから100メートルほど離れている。こちらは村からも近く、猪や鹿は現れないのだが、池に水鳥が沢山やってくる。これまでも鴫だか鷺だかが田んぼに入って虫や魚を探していたりしたのだが、去年までは目立った被害はなかった。

ところが今年は、鴨の大群が僕の田んぼに入り、盛んにお布団を突っついていた。100メートル離れた小さな田んぼの方にも鴨の群がやってきた。最初は気にしていなかったのだが、そのうちお布団の中の種籾を突っついていることが判明した。これは大問題だ。あわてて追い払った。しかし一日中見張っているわけにもいかず、またそれほどの被害ではなかろうと高を括っていたのがいけなかった。

稲の芽が出始めても、本数が少ない。結局大きい田圃は2割ほどしか芽が出なかった。何しろ種籾が食べられてしまっているので、芽の出ようがないのだ。これまた困ったことに、人が近づきやすい畦には鴨もあまり近づかなかったらしく、畦際から見ると種籾も残っていて芽も比較的沢山出ていた。それで安心していたのだが、真ん中辺はほとんど食べ尽くされていたことが後で分かったのだった。

元々種籾は多すぎるぐらい入っている。発芽率や土に根付くかなどで余裕を見ているからだ。本来なら30分の1発芽すれば収量は確保できる。稲は環境対応力が強く、混み合っていれば小さめに、余裕があれば大きく育つので、苗の本数が変動しても収量が大きく変わることがないからだ。それが2割ということは、150分の1しか残らなかったことになる。

結局お布団の上は鳥の足跡だらけで、一面突っつかれた穴だらけ。山間の田は猪にかき回されてぼろぼろ。合鴨農法というのがあるように、鴨は雑草を食べて除草してくれ、稲を守ってくれることもある。でもそれも稲がある程度大きくなってからの話で、鴨は稲でも雑草でも、食べやすければ食べてしまう。小さな苗は雑草と一緒に鴨に食べられてしまう。だから鴨を放すのは稲がある程度育ってからだ。

種籾や芽を出したばかりの稲は鴨にとっては格好のごちそうだったようで、どんどん食べられてしまった。それでも池からちょっと離れた田んぼは、小さくて周りを道路に囲まれているせいもあるのか、それほど大きな被害ではなかったことが救いだった。

不思議なのは、お布団農法3年目にして始めて被害を受けたこと。田んぼの隣の池には毎年鴨がいたにもかかわらず、である。去年までは鴨は種籾の存在に気付かなかったが、今年はたまたま一羽それに気付いた鴨がいて、みんながそれに習ったということかもしれない。

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プロフィール

川崎重工業人事部・川重米国本社CFOを経てガリレオに参加。ガリレオの業務の傍ら、環境問題、食糧問題に関心を持ち、「電脳自然生活」を目指して有機農業で米、野菜を作る。

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