なぜ田舎で暮らしているのか
2008年5月26日
長野県の塩田平で生活している。塩田平というのは、小さな盆地というか、千曲川(新潟に入ると信濃川と名前が変わる日本最大の川)の支流沿いの扇状地というべきか。張り出した尾根に囲まれたなだらかな平地で、ほとんどが田んぼという土地柄だ。わが家はその最上流に近く、家の周りはほとんど田んぼではあるが、家を出て5分も歩くともう山の中である。
どうしてここで暮らしているかというと、縁という言葉しかない。田舎で暮らすことは自分で選択したわけだが、場所は縁で決まった。
塩田平に来る前はアメリカで暮らしていた。ニューヨークで4年間、日本の企業の小さな現地法人で働いていた。財務担当役員をやっているときに国際税務調査などという激しく面倒かつ見当違いの調査が入り、無理矢理内国調査に誘導してかわすのにほとんど寝る暇もない生活をしたりしたあと、環境問題の研究のために大学院に2年間留学した。さて日本に帰らねばならないがどうしよう、と考えた。
勤務していた企業に戻り、しばらく国内で働いたあとまた外国の法人に出向して、規模拡大や問題を解決する、というのが順当な路線であることはわかってはいたのだが、どうも気が進まなかった。主な理由は2つあった。1つはもう少し環境問題を突き詰めてみたかった。企業に戻るとそれは難しい。2つめは、自分に生活を取り戻したい、という気持ちが強かったことが挙げられる。
気がついたら常にがむしゃらに働いている自分がいた。日本でもアメリカでも常に仕事が生活の中心。それはそれで能力が発揮できて楽しいわけなのだが、最初の子供を授かったときに、ちょっと考えが変わった。
それまでの自分に想像できる未来は、ほんの数年先、いや、2-3年先がせいぜいだったようだ。ところが目の前に子供がいることで、少なくとも子供が自分の年齢になることまでがパースペクティブに入ってきた。つまりパースペクティブが突然1桁以上延びたことになる。今の日々の仕事は子供の未来を良くする仕事だろうか、と考えたときに、肯定する自信がなかった。
勤務していた企業が悪かったわけでは無い。普通に運営されている歴史ある会社だった。個別企業の問題ではなく、ちょっと大げさに言うと、今の人類社会が向かっている方向に自信が持てなかったのだ。問題が大きすぎて、検討材料からフレームワークまでスクラッチから作って行くしかなく、アメリカに渡り、環境問題を研究し、モデルを書き・・・という生活に入って行く。この段階では、田舎暮らしを志向していたわけではなかったが、たまたまそこで生活を見直すきっかけも得た。
アメリカ勤務時代のオフィスはマンハッタンのど真ん中にあり、27階で勤務していたのだが、窓から見えるのは全て周りの高層ビルの壁面なので、高層階にいるという感じがしない。そんなところで働いている人たちだが、通勤時間は1時間以内が普通で、良くアメリカのテレビドラマに出てくるような、自然に囲まれたゆったりとした庭付き1戸建てから通勤してくる。もちろん都市のアパートメントで暮らしている人もいるし、生活格差は大きくスラムもある。しかしそういう生活をしている人の方が少ないのがアメリカだった。
アメリカの大学は郊外にあって独立した大学都市を構成していることが多く、僕が籍を置いた大学も広い敷地の周りに大学関係者の町があり、その外側は雄大な森林地帯というロケーションだった。妻子がいたので大学構内のアパートに入居できた。大学構内とは言っても、子供の遊び場もあれば託児所もある。周囲は林に囲まれている、という環境だ。
若手の研究者や教員も同じアパートに住んでいて、会合などで話をしていると、2年間しかその土地にいる予定はなく、間もなく大陸の反対側の大学に移る予定なのに教育委員会の委員をしていることがわかったりする。アメリカ人は土地に執着していないにもかかわらず、コミュニティーのための仕事に積極的なのは、僕にとっては驚きだった。
アメリカの生活は豊かで自然に近く、余裕があるものだった。在米時代に旅行で訪れたフィンランドの暮らしも、大自然と調和した生活に感じられた。山が深いとか、平地はほとんど耕地として利用できるなど、日本で自然が遠くなってしまう事情もあるのだが、日本の都市生活で忘れられている自然やコミュニティーをもう少し大事にする生活を考えるべきではないか、何となくそういう印象が強くなって行った。
以上がアメリカで研究生活を終え、日本に返って来るにあたり、田舎暮らしを選んだ理由の1つだ。実はこの理由はバックグラウンドの説明に過ぎず、他に直接的な3つの理由があった。
1つは子供の教育環境である。当時6歳と9歳だった2人の息子が育つ環境として、自然に近い環境が重要だと考えていた。2つめは、研究していた環境問題−食料問題で実践で確認してみたいと思っていた。つまり農業ができる環境が欲しかった。
そして多分最終的に田舎暮らしを後押ししたのが3番目の理由である。2年間家族を抱えて自費留学した結果、貯金の残高も残り少なくなっていたのに、会社を退職して研究を続けるという非常識な方針をサバイブするために、生活費の固定費をミニマイズしたかった。田舎暮らしなら、住居費が都市の数分の一ですみ、野菜程度は自給できる。
日本各地を回って住む場所を決め、有機農業をやっていた友人に、アメリカから相談したところ、自分が住むことに決めた上田が向いているのでは無いか、と勧められ、アメリカから落下傘降下することになる。
こうした背景があるので、電脳「自然生活」といっても多様な要素が含まれている。子供は学校に行かねばならないし、自分は仕事で金も稼がねばならない。街にも出たいしレストランでおいしいものも食べたい。ここまでなら、単に郊外で適当に就職してのんびり生活するという選択肢も考えられたわけだが、食料生産(農業)で試行錯誤したいという目的があるので、田舎暮らし以外の選択肢は難しかった。
だからできるだけ自然に近い生活を目指そうとは思っているが、原始時代の採取生活を目指しているわけではない。「自然」と言っても、人間が住んでいる以上、人間の周囲の自然は人間と無関係な自然ではないわけだし、そもそも人間もまた自然の存在に過ぎない。その意味では、蜂の巣が自然の存在であるように、自然の人間が作った宇宙ステーションの中も自然と言えないことはない。
問題は、どのような「自然」を指向して行くべきかという選択の問題だろう。思考実験では埒があかないので、実際に試行錯誤しているわけだが、手間暇かかるのでなかなか楽しい。ただ、仕事が忙しくなってしまったので最近は「効率」に流されがちで、ちょっと反省中。
合原亮一の「電脳自然生活」
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