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合原亮一の「科学と技術の将来展望」

Wiredの記事を中心にウォッチしながら、科学・技術とその将来を考える。

肥料価格高騰と窒素肥料汚染を同時に解決するには?

2008年7月15日

肥料価格が上がっているそうだ。ワイアードビジョン記事によると、窒素肥料の原料であるアンモニアの価格は、この10年で3倍になったという。生産に多くのエネルギーが必要なため、エネルギー価格上昇の影響を受けているらしい。このままでは食料不足がさらに深刻化する、という記事だ。

僕は有機農法を実践しているので化学肥料は買ったことが無いが、有機肥料も高騰して困っている。以前は20キロ500円の時代もあった油粕が、最近は1200円と、アンモニア並みに値上がりしている。肥料価格の引き下げは大賛成だ。

窒素肥料の生産には、世界のエネルギーの1.5%が使われているという。生産に必要なエネルギーを引き下げることで、肥料価格を引き下げ、温暖化防止にも貢献できるかもしれない。その一方で、やはりワイアードビジョン記事によると、窒素肥料起源の窒素酸化物によって、環境汚染や温暖化ガスの放出が起こっているという。人類が放出する窒素酸化物は、40年前の12倍以上になっている。その多くは化石燃料の燃焼に伴うNOxの排出が原因だと思うが、肥料起源のものも削減したいものだ。

だがこの2本の記事は、ちょっと突っ込みが足りない。残念ながら米Wiredの記者も、農業問題には疎いようだ。食料価格の高騰、地球温暖化という背景を受けて、肥料価格の高騰を取り上げたものの、まとめきれなかったのだろう。僭越ながら、整理し直してみたいと思う。

農業には詳しくない人もいるだろうから、まず肥料問題は窒素肥料の話だけで良いか確認しておきたい。結論はYesだ。良く知られているように、肥料の3要素は窒素・リン酸・カリである。だから本質的にはリン酸やカリも検討課題なのだが、先進国でも途上国でも、農作物の収量に一番影響がある肥料成分は窒素なのである(窒素は大気の約80%を占めており、工業的に合成しやすいが、リンとカリは天然原料由来の原料が中心だ。また、リン酸やカリは窒素に比べれば土中に留まりやすく、特に日本では、多投の結果過剰の害が出ている畑も多い。)

実際、肥料プラントは、先進国からの途上国向け化学プラント輸出の柱の一つだ。記事によると問題は、肥料の合成にエネルギーを消費しすぎることのようだが、本当に窒素肥料の生産が温暖化に貢献しているかは疑わしい。というのも、窒素肥料によって世界の農産物の生産性は何倍にも増えているからだ。窒素肥料によって単位面積あたりの収量が増えるということは、炭素の固定量が増えているわけで、温暖化を防ぐ方向に働いているのだ。たとえ最終的に放出された窒素酸化物が温暖化に貢献しているとしても、その影響はかなりオフセットされているはずだ。

もちろん、エネルギー消費の少ない窒素固定プロセスが確立できれば、化石燃料が節減できるので環境的にも貢献する。ただそれは、一般論としてエネルギー効率は高い方が良い、という話に過ぎない。肥料問題とは独立して、エネルギー問題全体の中で優先順位を考えて改善して行くべき問題だ。

次に、合成に必要なエネルギー量が下がり、窒素肥料が安価になったとして、それで喜んでよいのだろうか。否である。というのも、肥料価格が下がっただけでは、食料価格は下がらない。もちろんこれまで化学肥料に手が出なかった農民にも使えるようになり、長期的に食料生産力の向上につながるというメリットはあるかもしれない。しかし現在の食料価格の高騰は需給バランス等によって起こったもので、生産コストの問題では無いからだ。

それだけでなく、肥料価格が下がるだけでは、必要以上に肥料が多投され、上述の環境の窒素汚染がより進む危険性がある。

自然界では、雷によって固定された大気中の窒素が、雨とともに薄く広く長期的にもたらされたり、窒素固定細菌が固定したり、生物の体内に固定されている有機態窒素が微生物によって無機態に分解されたりすることで、常に少しずつ供給されている。だから自然の中では窒素も無駄無く利用され、流亡したり、脱窒して大気に帰って行く量はそれほど多くない。

化学肥料も少しずつ頻繁に散布すれば、周囲の環境に放出される量は抑えられる。しかし化学肥料は安価なため、散布コストを抑えるために集中的に投与されてしまうのが現状だ。

化学肥料は無機態で水溶性のため、雨の多い日本では特に流亡しやすい。それでも土中の生物層が豊かなら、それらの生物が余剰の窒素を吸収するため、流亡は起こりにくい。作物以外の生物が吸収した窒素も、その生物が死んで分解される際に無機化され、長期的に作物に吸収されることになる。

問題は、土中の生物層を豊かにするためには、土中の有機物が豊かでなければならないことと、生物を殺してしまう農薬散布を出来るだけ抑えなければならないということだ。まず有機物だが、理想的な肥料とされる堆肥には、窒素の10倍から20倍の炭素が含まれている。有機物の重量は炭素の5倍ぐらいになるので、要するに、理想的には、窒素量の50倍から100倍の有機物(つまり、落ち葉や植物残さなど)を土に入れなければならないということだ。地中の有機物が多ければ、環境中に放出される窒素は減少し、温暖化にもあまり貢献せず、窒素の利用効率が上がり、窒素肥料の必要量も削減できる。

しかし実はこれは、窒素含有量1%から2%の堆肥を施用するのとあまり変わらない。その手間を惜しんで化学肥料の利用が進んで来たわけだ。堆肥より安くて楽、というわけである。

化学肥料がいかに楽か、比較してみよう。僕がこの春1反5畝の田んぼに撒いた有機肥料の油粕は300キロ。2反の畑に800キロ。計1トン以上だ。20キロ入りの重い肥料袋を手で持ち、歩きながら振り撒いて行く。それを50袋以上。1日では終わらない重労働である。

それでも油粕は、有機肥料では一番窒素量が多く一番楽なものだ。堆肥なら5トンは必要だ。20キロ抱えて500回以上歩くことになる。何日もかかる作業だ。しかも堆肥を作るためには、この5トンを何度か積み直す作業が必要である。ちなみに平均的な農家は、この3-5倍の農地を耕作している。

これに対して、化学肥料でも特に窒素量が多い尿素の場合であれば、同じ量の窒素を散布するのにわずか100キロ強。急ぐ必要も無いので10キロずつ持って鼻歌まじりで撒いても、半日どころか1時間ちょっとで終わってしまう。土と混ぜるにも、表面を軽くトラクターでかき回すだけで充分。堆肥の場合のように、何度もかき回す必要も無い。

もちろん化学肥料特有の問題もある。そのままでは土地が痩せて行くし、流亡しやすいので、さすがに全量を1回で撒くわけにはいかない。一度に大量に肥料を吸収させられる作物は、肥満児状態になって病気にかかりやすい。その分農薬を大量にまかねばならないし、栄養価も低くなる。もちろん味も悪い。だが農産物価格が見栄えと重量で決まっているので、農家にとっては水ぶくれの作物の方が金になるのだ。

というわけで、充分な有機質を施用しろというのはなかなか難しい。僕自身は持続可能な農業は有機農法しか無いと思っているので、有機農法でやっているわけだが、世界中がすぐにはそうはならないだろう。増え続ける世界の人口を支えるには、化学肥料も必要だろう。そのためには、有機肥料のようにゆっくりと窒素を放出する化学肥料を使えば良いと思う。実はそういう化学肥料があるのだ。緩効性肥料である。作物によるだろうが、農業試験場によると、30-35%の施肥量削減が可能という。

製造エネルギーを減らして肥料の値段を下げるより、みんなが緩効性肥料を使うようになれば、窒素肥料の使用量が減って製造エネルギーが少なくなり、値段も下がるだろう。もちろん、別途エネルギー効率を上げることに反対するものではない。

問題は緩効性肥料の価格だ。現在のところ窒素量あたりの価格で見ると3倍以上だ。この価格を引き下げる努力をすれば、結果的にエネルギー消費も窒素汚染も少なくできるはずだ。

もちろん本来は、有機質の施用を増やすのが一番であることはいうまでもない。それによって、農業の持続性や食の安全性も高まる。その意味では、肥料の観点からもう少し周辺も掘り下げてみたい。しかしこの場の議論とは少し外れてしまうので、この点については追って場を改めて別のブログで展開することにしたい。

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プロフィール

ワイアードビジョン取締役で米Wired.comの翻訳を担当しているガリレオCEOも務める。身近な技術から未来技術まで、広範な関心を持ち、ちょっとしたエンジンや電気製品なら自分で修理したがるので周りの人は困っている。