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佐々木俊尚の「ウィキノミクスモデルを追う」

いま劇的な変動期を迎えつつある<集合知ープロダクト>モデル=ウィキノミクスモデルを追う。

プラットフォームの力はますます強化されていく

2007年12月28日

(これまでの 佐々木俊尚の「ウィキノミクスモデルを追う」はこちら

 前回、技術情報とニーズ情報、小売販売情報という3つの情報が、イノベーションを起こす原動力となっているという話を書いた。そしてこの3つの中でも2000年代といういまの時代において最も重要なのは、小売販売情報である。メーカーは、消費者が何を求めているのかは自分の商品の枠内であれば認知することは可能だが、しかし他のメーカーの商品が消費者にどのように受け入れられているのかは知りようがない。

 また消費者の側も、自分が何を欲しているのかはわかるけれども、他の消費者が何を求めているのかは知らない。その意味で、メーカーも消費者も、ニーズ情報からは切り離されてしまっている。本当のニーズ情報を認知しうるのは、すべての消費者がすべてのメーカーの商品をどう購入しているのかという情報を知っている組織−−すなわち、流通企業だけだ。

 これはインターネットのビジネスにおいても当てはまる。たとえばアマゾンを例にして考えると、わかりやすい。ロングテール論になると必ず引き合いに出されるケースだが、通常、どのような商品分野であっても「ランキング上位20%の数の商品が、売上全体の80%を占める」「下位80%の商品は品数は多いが、売上でいうと全体の20%にしかならない」という法則が成り立つとされている。これは「パレートの法則」「80:20の法則」と呼ばれている。つまりは売れ筋ではない商品をいくらそろえても無駄で、上位20%に入る商品をいかにそろえるかが商売の秘訣である、という法則だ。言い方を変えれば、従来の小売店では棚の広さに限りがあるから、売れない80%の商品を置く余裕はなく、自然と上位20%の商品ばかりをそろえる結果にもなっていた。

 だがこの法則がインターネット時代に入ると崩れてきた。アマゾンでは膨大な数の在庫をローコストで維持するのと同時に、検索エンジンやレコメンデーションを活用し、これまで売れないと思われてきた下位80%の商品をほしい人に届けてしまう仕組みを作り上げた。この結果、アマゾンでは従来売上の20%しかないと考えられていた下位80%の死に筋商品(ロングテール商品)が、全体の売上の57%(36%という説や、20数パーセントという説もあるが)にまで達した。

 これは有名なロングテールの法則で、インターネットビジネスに興味のある人なら既知の話だろう。このロングテールモデルが、旧来のビジネスを破壊し、新たな経済を打ち立てるという考え方である。しかしアマゾンのロングテールモデルには、ひとつの盲点がある。アマゾンは巨大な倉庫を持っていて、安価な労働力を使うことによって膨大な数の在庫を維持することに成功しているということだ。これは「潜入ルポ アマゾン・ドット・コムの光と影−−躍進するIT企業・階層化する労働現場」(横田増生著、情報センター出版局)という書籍に詳しい。この本によると、アマゾンジャパンが千葉県市川市に持っている物流センターでは、時給900円のアルバイトの若者たちが体育館のような広大なセンターの中を走り回り、「1分3冊」という過酷なノルマを課されてストックヤードから本を拾い上げ、荷出し場所にまで運ぶという労働を行っているという。どれだけの時間で本を選んで運び出せたのかという個人データは毎月集計され、成績が良くなければ2か月ごとの契約更新で契約が打ち切られるという過酷な労働の現場だ。

 このような実態を見れば、アマゾンはセブンイレブンやウォルマートと同じような巨大流通企業そのものであるというのがよくわかる。そしてだからこそ、アマゾンは膨大な在庫を維持することができて、ロングテールの法則を実現することが可能になった。結果、売れない書籍や音楽CDを作ってきた作家や音楽家などのクリエイターたちも、自分の商品を少しだけ余計に売ることができるようになったというわけだ。従来の書店やCD店は、売上上位20%の商品しか置いてくれなかったが、しかしアマゾンであればそうした売れないクリエイターの商品も在庫として棚に並べておいてくれる。そしてそうした商品は、数は多くはないけれども、着実に売れ続ける。

 なぜそうした売れないクリエイターの商品が少数ながら売れるのかといえば、アマゾンがすべての商品を10桁のアルファベットと数字からなるASIN(Amazon Standard Item Number)というコードで体系化し、この商品コード体系をもとに検索エンジンを提供し、さらには商品と消費者の購買履歴をマイニングし、協調フィルタリングによってレコメンデーションを行っているからだ。言い方を変えれば、アマゾンは巨大流通企業として、商品種目データと膨大な数の消費者の購買履歴という情報をもっているのが最大の強みとしており、だからこそどの消費者がどんな商品を好み、逆にどの商品がどんな消費者に好まれるのかもピンポイントでわかっている。これは非常に高度なPOSシステムを作り上げたセブンイレブンでも成し遂げられなかったプラットフォームだ。セブンイレブンは消費者の購買行動をPOSシステムに蓄積しているけれども、ひとりの消費者の過去の購買履歴を蓄積できているわけではないし、その消費者の属性も「男女」「年代」程度しか蓄積できていない。現状では店舗のレジカウンターで店員が客の見た目をそのまま属性として入力しているだけだからだ。もっともセブンイレブンは最近、nanacoという電子マネーを発行し、これによって消費者の属性と購買履歴の蓄積に進み始めている。

 このようにして膨大な消費者の購買履歴を蓄積していけば、協調フィルタリング技術を使ったレコメンデーションが可能になる。協調フィルタリングをごく簡単に説明すると、たとえばαさんという人が、(A)(B)(C)(D)の四つの商品を購入していたとする。これに対してβさんは(A)(B)(C)(E)の四つの商品を購入していた。αさんとβさんは、(A)(B)(C)の三つの商品を購入したことで共通しており、趣味志向が似通っていることが予測される。そこでαさんには「(D)を購入したらどうですか」、βさんには「(E)はいかがでしょう」とお勧めすることになる。実際にはもっと複雑なことが行われているが、思い切って簡略化してしまえば、上記のような考え方が協調フィルタリングの基本となる。

 ここで気をつけなければならないのは、αさんは「なぜアマゾンが自分に商品(D)をおすすめしてきたのか」ということがわからないという点だ。アマゾンは、αさんと似たβさんが(D)という商品を購入したことを知っていて、αさんに(D)を勧めたのだが、しかしαさんにはβさんの購買行動は通知されていない。つまりニーズ情報にはアマゾンが握っており、αさんは「自分が何を買ったのか」ということは知っていても、他の消費者が何を買ったのかはまったくわからないのである。

 これはクリエイター側にとっても同様だ。以前は自分の作品が書店やCD店に置いてもらえず、売上はほとんど期待できなかった。ところがアマゾンの出現によって、自分の作った作品が少数ながら売れるようになってきて非常に喜ばしい。たぶん消費者の側は、検索エンジンを使って自分の作品に到達したり、あるいは協調フィルタリングのレコメンデーションによってお勧めされているのだろう。しかしクリエイター側には、いったいどのような消費者が、どのような経路によって、自分の作品に到達してアマゾンで購入してくれたのかは、いっさいわからない。そのあたりの情報は、アマゾンが握っていて決してオープンにはしないからである。

 そのようにして、すべての情報はアマゾンに集約されていく。ロングテールの法則によってマス広告の役割が弱まり、死に筋だった商品と消費者が結びつくようになったというのは大きな変化だが、しかし一方で、商品と消費者の間を結ぶパイプは以前にも増してブラックボックス化され、見えなくなってしまっている。そしてこのような世界においては、アマゾンのような情報流通プラットフォーマーにおける小売販売情報の粘着性がきわめて高く、前回のヒッペル教授や小川進教授の理論に従えば、イノベーションが起きる場所はこの部分に集中していくことになる。そうしてプラットフォームの力はますます強化されていくのだ。

 では、仮にこのプラットフォームにおける情報流通が、可視化されればどうなるのだろうか? そこで情報の粘着性は弱まり、イノベーションが起きる場所は移動可能になるのだろうか? 次回はそのあたりの可能性について考えてみたい。

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プロフィール

ジャーナリスト。1961年生まれ。大手新聞社で警視庁捜査一課、遊軍などを担当し、殺人事件や海外テロ、コンピュータ犯罪などを取材する。その後、月刊アスキー編集部などを経てフリージャーナリストとして活躍中。著書に『グーグル Google ─既存のビジネスを破壊する』『ネットvs.リアルの衝突』『フラット革命』など多数。

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