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増井俊之の「界面潮流」

「界面」=「インタフェース」。ユーザインタフェース研究の第一人者が、ユビキタス社会やインターフェース技術の動向を読み解く。

第13回 貧乏な記録

2007年10月26日

頑張って作成した文章が何かのトラブルで全部消えてしまった!という経験を持つ人は多いと思います。昔の計算機はあらゆるリソースが不足していたため、重要なデータを編集している場合でも、明示的にデータを時折ファイルにセーブして使うのが普通でしたが、現在の計算機の速度や記憶容量を考えると、何でも常にセーブするようにしても問題無いはずです。

極端な話、1秒に10回キーボードをタイプするという行為を1日10時間、100年間実行し続けたとしても、10文字×60秒×60分×10時間×365日×100年 = 13ギガバイトしか入力できないわけですから、人間が入力/編集できる量はたかが知れています。計算機の操作をすべて記録しておくようにすれば、作成したデータが消えて困ることなどなくなるでしょうし、以前作成した情報を取り出すこともできるはずです。

不要と思って捨てたデータが後で必要になることもありますし、少なくとも自分が編集したデータぐらいは全部記録しておくべきでしょう。リッピングしたDVDファイルなどをディスクの肥やしにしておくよりも、自分の操作情報をすべて記録しておいた方が有益なことは間違いありません。

しかし現実には、あらゆる編集操作を記録しているシステムはほとんど存在しないようです。よく使われているワープロも表計算ソフトも自動的にファイルをセーブしてくれる気配はありませんし、データを入力して登録したと思ったら「データが間違っています」などと言って入力フォームをクリアしてくれるWebサービスに癒されることも日常茶飯事です。21世紀にもなってこのような状態が続いているということは、あらゆる操作処理を記録しておくことの重要性がまだまだ認識されておらず、貧乏根性がしみついているのが原因なのでしょう。

あらゆるシステムが駄目だというわけではありません。一時流行したPalmの「メモ帳」には「セーブ」機能が存在せず、入力した文字はすぐに内蔵メモリに書き込まれるようになっていたのでデータのセーブ忘れというトラブルは発生しませんでしたが、残念ながらundo機能はありませんでした。またWindows上のメモシステムとして定評のある紙copiのように自働セーブやundo/redoを充分サポートしているソフトウェアもありますが、こういう製品はまだ少数派であり、業界に浸透した貧乏根性の完治には時間がかかりそうです。

既存のシステムでも、工夫次第で貧乏状態を脱出できる場合があります。Unixユーザの間で昔からよく利用されてるEmacsエディタは、ご多分にもれずセーブ操作をしなければデータは保存されませんが、カスタマイズを行なうことによって問題を解決することができます。山岡克美氏と高林哲氏が作成したauto-save-buffersというプログラムを利用すると、0.5秒操作が止まるとすぐにファイルが自動的にセーブされるようになるので、ファイルをセーブし損うトラブルを大幅に減らすことができます。

最近の計算機の場合、よほど巨大なファイルを編集する場合以外、頻繁にファイルをセーブしても全く気になることはありませんし、Emacsは強力なundo機能が装備されているので以前の状態に戻すことも簡単です。編集を完全に終了してしまうと以前の状態に戻すことはできませんが、CVSSubversioinのようなバージョン管理システムを併用することにより、昔の状態に戻すこともできるようになります。

最近はWeb上のWikiで情報を管理することが多くなってきましたが、ブラウザ上の編集インタフェースは激しく貧乏度が高いので、編集中のデータをセーブし損ってしまうこともありますし、一度編集すると昔の状態に戻すことができないのが普通です。こういう状態が続くのは問題なので、前回紹介したWeb単語帳システムで、「編集した情報はすぐに書き込まれる」「任意の状態に戻すことができる」という機能を実装してみました。

下図はラジオで聞いた“ready to prime time”という表現を単語帳に登録したもので、意味、用例、関連情報が登録されています。

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この状態でundoキーを何回か押すと下図のような状態になります。“ready to prime time”というフレーズは辞書に載っていなかったため、人に聞いたり検索し直したりして編集を行なったわけですが、単語帳システムではundoキーを押すことによって編集履歴をすべてたどることができます。また、データの古さに応じてバックグラウンドの色が変化するので、いつごろ編集されたデータなのかを判断しやすくなっています。

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このシステムには書込みボタンが存在せず、編集結果はすべてセーブされるようになっています。貧乏なシステムに慣れている人にとっては、本当にデータがセーブされているのか不安になるかもしれませんが、undo/redoで編集状況を確認することができればこういった不安は減ってくるでしょう。

パソコンやWeb上で貧乏性が払拭されるにはまだまだ時間がかかるのかもしれませんが、この程度の機能であれば簡単に実装できるので、あらゆる場所でこのような機能が常識になってほしいものだと思います。

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プロフィール

1959年生まれ。ユーザインタフェース研究。POBox、QuickML、本棚.orgなどのシステムを開発。ソニーコンピュータサイエンス研究所、産業技術総合研究所、Apple Inc.など勤務を経て現在慶應義塾大学教授。著書に『インターフェイスの街角』などがある。

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